ともに「緩和ケア医」として患者と向き合う関本さん親子。しかし息子の剛さんは自身にステージ4の肺がんが見つかり、今年4月に45歳の若さで亡くなりました。自らもがんと闘いながら医師として働いてきた剛さんをMBSは2年にわたって取材してきました。剛さんは最期までどのように生きたのか。また、息子の遺志を継ぐ母親・雅子さんの思いとは。
ステージ4のがん 「同じ病気の人の半数が2年しか生きられない」と告げられる

今年6月、神戸市中央区で“ある講演会”が行われていました。
(関本クリニック 理事長・院長 関本雅子さん)
「実はがんの方は急速に最後は悪くなる。いいところは、ギリギリまで普通の生活ができるということなんですね。うちの息子の場合は4月19日に亡くなったんですけど、3月16月まで仕事をしていました」

関本クリニックの理事長・院長である関本雅子さん(73)。これまでに3500人の患者を看取ってきた緩和ケア医の草分けです。その雅子さんは今年4月、息子の関本剛さんを亡くしました。45歳でした。

剛さんも雅子さんと同じ緩和ケア医でした。緩和ケア医は、治療が難しいがん患者らの心や体の痛みを和らげるため、副作用のつらさなどを薬でコントロールしたり、がん治療の進め方の相談に乗ったりします。
【2020年のやりとり】
(剛さん)「今後のことに関して何か話し合いはされていますか?」
(患者)「十分生かせていただきましたので、全然心残りもなく」

ところがこの1年前の2019年10月、剛さん自身ががんだとわかったのです。診断は「肺がん」。脳にも10か所ほど腫瘍が転移していて、がんの進行度合いは最も進んだ「ステージ4」でした。医師には「同じ病気の人は、その半数が2年しか生きられない」と告げられました。
(関本剛さん 2020年)
「『もう治らないがんです』と言われてズドンと落ち込むみたいなことは、(医師として)伝える立場としては実感はしていましたけど、でもやっぱりね、当事者になると『ああ、こういうことか』という感じだったのを覚えています」

クリニックを剛さんに引き継ぐ予定だった雅子さん。息子ががんだとわかった直後は、悲しみをこらえられませんでした。
(関本雅子さん 2020年)
「よく車の中で泣いていました。やっぱり1人になるとどうしてもね。私の立場としては家族の立場なので、逆に言ったら、剛のおかげでがんの方の家族の気持ちがすごく痛いほどわかりますね」
それでも妻と2人の子どものため、剛さんは自らもがんと闘いながら医師として働き続けることを選びました。