
当初170万人あまりだった国内線の乗降客数は、平成元年に500万人、令和元年には560万人に。飛行機は、身近な乗り物へと変わっていきました。

国際航路も、香港を皮切りに、ナウルやバンコクなどチャーター便も含めこれまでに20以上の国や地域をつなぎました。
路線を拡大するなかで当時、渡邉さんに課されたミッションは「国際航路の利用者を増やすこと」でした。しかし…。

(60年近く空港関連業務 渡邉勝三さん)「若い特に男性は学生から社会人になるときに一番何を欲しがるかと言ったら車。非常に営業面で難儀をしました」

企業などの団体客を中心に熱心に利用を呼びかけ、乗降客数は、昭和の7200人あまりから、平成に入り初めて10万人を超え、令和元年には、最多の41万人に上りました。














