シリーズ「昭和からのメッセージ」です。今年は、昭和100年にあたる節目の年。当時の映像とともに昭和をひも解き、今を生きる私たちへのヒントを探ります。
今回は「鹿児島空港」です。
いまから55年前の3月、霧島市溝辺の鹿児島空港の整備が始まった時の映像です。12日は鹿児島の空の便の歩みを映像と証言で振り返り、鹿児島から世界への玄関口としての役割を考えます。
動画はYouTubeでご覧いただけます。

霧島市の鹿児島空港。国内線・国際線を合わせた昨年度の乗降客数はおよそ555万人です。全国97あるの空港うち、9番目に多く、鹿児島の空の玄関口としての役割を果たしています。
鹿児島空港ビルディングの前の社長・渡邉勝三さん(82)です。昭和41年、当時、鹿児島市鴨池にあった空港の業務を請け負う南国交通に入社しました。
空への憧れがあったのもの、初めて飛行機に乗ったのは入社後の研修。宮崎への15分間のフライトでした。
(渡邉勝三さん)「機体が傾くじゃないですか。その時に落ちるのではないかなと。ここを持って力を入れたってどうしようもないんですけどね」

「隣におばあちゃんがいて、私が23歳の時で『大丈夫、大丈夫』と、おばあちゃんから」














