日本人初となる米野球殿堂入りを果たしたイチロー(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)に独占インタビュー。2001年のメジャーデビューから数多くの大記録を打ち立て、殿堂入りを果たした今、現役中に苦しんだ時期のエピソードなど、これまで語ることのなかった真実に迫る。(第2回/全3回)
現地1月21日(日本時間1月22日)、自宅で妻・弓子さんとともに連絡を待つイチローのもとに吉報が届いた。アメリカでの野球殿堂入り。日本人メジャーリーガーとして、史上初の快挙を成し遂げたイチローは、ともに伴走してくれた弓子さんへの思いを語った。
イチロー:アメリカに来て、この25年。2001年から現役の19年が終わるまで、とにかく妻がよく頑張ってくれたこと、ここにまず大きな感謝の気持ち。
1999年、イチローは弓子さんと結婚。2000年オフにマリナーズへ移籍が決まり、弓子さんは「私は、イチローが下した決断、それについていく」と伝え、夫婦でともに海を渡った。以来「ずっと一緒にやってきた」という2人。自身のたゆまぬ努力と弓子さんのサポートもあり、イチローは不動の1番として2001年のデビュー以来、毎年200安打をマーク。2004年には262本のシーズン最多安打を記録し、一気にメジャーを代表する選手へと駆け上がった。
順調にキャリアを重ねていくイチローだったが、2006年、その心が乱される状況に。マリナーズは8月に11連敗するなど、シーズン中盤で早くも自力優勝が消滅。チームのモチベーションは、最悪の状態に。そんな状況でもイチローは、記録に向かって黙々とヒットを量産。しかし、待っていたのはチーム内での“孤立”だった。
イチロー:チームが結束していく時って、ネガティブなことで結束していくことが多いんですよ、ダメなチームって。そこに巻き込まれたくない。だから僕は外れるんですね、そこから。その中で僕が「200本」「3割」、僕が続けてきたことを続けたいし。チームが希望を失っている中で、お客さんに喜んでもらえるとしたら、個人のパフォーマンスじゃないですか、いいプレー、野球ファンですから、来てる人たちって、基本的には。グラウンド上ではしっかり仕事をするっていうのがプロだと思ってる。