殺人罪などで服役した原口アヤ子さんが、一貫して無実を訴え、再審=裁判のやり直しを求めている大崎事件は、15日で発生から43年になります。95歳になったアヤ子さんや支援者は、再審の扉が開く日を待ち続けています。

1979年10月15日。当時42歳の男性が牛小屋の堆肥の中から遺体で見つかった大崎事件。男性の義理の姉・原口アヤ子さんら親族4人が男性の首をタオルで絞めて殺害し、遺体を牛小屋の堆肥の中に遺棄したとして逮捕されました。

原口さんは捜査段階から一貫して無実を訴えましたが、共犯とされる親族3人の「自白」などを根拠に懲役10年の有罪判決を受け、服役しました。

(原口アヤ子さん)
「本当に何もやっていないのに、こんな長く罪を着せられて」

出所後の1995年、67歳の時、原口さんは裁判のやり直しを求めて鹿児島地裁に1回目の再審請求をしました。これまで3回行われた再審請求で、地裁で2回、高裁で1回のあわせて3回再審開始が認められましたが、いずれも検察が不服を申し立てて覆される異例の展開をたどってきました。

原口さんが有罪となった確定判決によりますと、男性は夕方、酒に酔って自転車ごと道路わきの側溝に転落。近くの住民2人に救助され、軽トラックの荷台で自宅まで運ばれました。その後、午後11時ごろに首を絞めて殺害され、死因は窒息死とされています。

これに対し弁護団は、おととし3月に申し立てた4回目の再審請求で、「男性の死因は自転車事故によるもの」とする新たな医学鑑定を提出。「他殺ではなく事故死」と改めて主張しましたが。

「不当決定!」

(弁護団・鴨志田祐美事務局長 支援者に電話)
「棄却でした、残念ながら。考えられない…」

鹿児島地裁は新証拠を採用せず、裁判のやり直しを認めませんでした。

(アヤ子さんの長女・京子さん)
「本当に残念で悔しくてたまらない。母に伝えるのが残念でならない」

(弁護団 鴨志田祐美・事務局長)
「何のために無実の人を救済する唯一の手段である再審という制度が存在しているかという根本的なところに、まったく答えていない」

弁護団は即時抗告し、福岡高裁・宮崎支部で進行協議が行われるなど審理が続いています。


アヤ子さんを支援している武田佐俊さん(79)です。今は病院に入院しているアヤ子さんが、事件現場から車で10分ほど離れたこの家で一人暮らしをしていたころに、身の回りの世話をしていました。
そのころ、アヤ子さんがつぶやいた一言が忘れられないと話します。

(支援者 武田佐俊さん)
「『やっていれば裁判なんかしていない』という言葉は私にとって強烈だった。『無罪になって生き返りたい』そういう思いが強かったと思う」

今は無人となった自宅に支援団体が作った紙。そこにはアヤ子さんの悲痛な叫びが記されています。

『私は生き返りたい!今のままだと死んだも同然です』

鹿児島県内に住む親族もアヤ子さんの無実を信じて続けています。

(原口さんの親族)
「絶対してはいない、するはずがない。裁判で分かるのだからと信じて一生懸命訴えてきたが、何十年と無駄になってアヤ子さんは地獄だね。地獄だったと思う。真実が真実にならないのは何でだろうと。もう言いようがない」

数年前に脳梗塞を患い、入院生活を続けるアヤ子さん。事件発覚から43年、95歳となった今も、再審の扉が開く日が来るのを待ち続けています。