昭和100年にあたる今年、ニューズナウでは当時の映像を振り返り、今を生きるヒントを探る「昭和からのメッセージ」をシリーズでお伝えしています。
9回目のテーマは「道路網の発達」です。
56年前の昭和44年3月1日、供用をスタートしたのが長さ50キロの県道「指宿スカイライン」です。指宿市と南九州市、鹿児島市が結ばれました。60年近くにわたり、南薩地域の観光を支えてきた道路インフラの今後を考えます。
動画はYouTubeでご覧いただけます。
(山中裕子さん)「わんさわんさと人が来る。バスが着いたらガイドさんと一緒に店内を案内した。大ウナギが目的」

指宿市の池田湖の近くに住む山中裕子さん(76)です。昭和43年から営業している「池田湖パラダイス」に勤めていました。
(指宿市の池田湖の近くで70年以上暮らす 山中裕子さん)「創業者は指宿の人。(施設をつくったら)絶対にあたると話していた。スカイラインが通って良かった。にぎやかになった」

指宿スカイラインが池田湖から南九州市頴娃町までの間で供用をスタートしたのは、高度経済成長期真っただ中の昭和44年3月1日でした。

その4年後の昭和48年には九州自動車道の加治木と薩摩吉田の間が県内で初めて開通。第1次ベビーブーム世代が結婚適齢期を迎えた昭和40年代後半、指宿市は「東洋のハワイ」と呼ばれ、新婚カップルでにぎわいました。