今月11日で、発生から14年となる東日本大震災。経験を伝えることの重要性が増すなか、当時、中学1年生だった27歳の男性が「あの日」の教訓を全国各地で語り継いでいます。

「もっと危ない所があるんじゃないか…」

震災語り部として講演で命を守る大切さを訴えるのは、岩手県釜石市出身の紺野堅太さん(27)です。震災当時、釜石東中学校の1年生だった紺野さんは、現在は愛知県で働きながら震災語り部として「あの日」の経験を伝えています。

今年1月下旬に訪れたのは高知県。

震災語り部 紺野堅太さん
「高知は今回で3回目です。一番最初に(語り部を)スタートしたのも高知県だったので、すごく思い入れがありますし」

講演が行われた黒潮町は、内閣府が公表した南海トラフ巨大地震被害想定で、日本で最も高い最大34.4メートルの津波が到達すると示されています。そんな黒潮町での講演で紺野さんが強調したのは…

紺野堅太さん
「ハザードマップと避難訓練を信じるなということです」

震災当時、紺野さんが通っていた釜石東中学校は、市の津波の想定浸水域の外にありました。しかし、予想をはるかに超えた大きな津波に学校は飲み込まれました。命を救ったのは「津波てんでんこ」の教えでした。

紺野堅太さん
「逃げる場所がバラバラでもいいです。生きていれば必ずどこかで会えるので」

この教えの通りに隣接する鵜住居小学校の児童と高台に避難した紺野さんたちの行動は当時「釜石の奇跡」と呼ばれ、メディアなどから賞賛されました。しかし…

紺野堅太さん
「正直、このとき、ふざけんなと思ってました。自分たちのきれいなところしか見ていないなと」

震災で兄のように慕っていた幼なじみを亡くした紺野さん。同じような思いは誰にもしてほしくないと、当時の経験や思いを伝えます。

紺野堅太さん
「皆さん、しっかり備えて避難して、全員が助かることができるようになってほしいと思います」

講演を聞いた人
「今ある日常が当たり前じゃないこと、今があることが幸せなんだということがよく分かった」

震災からまもなく14年。紺野さんは経験や教訓を伝えることの重要性が増していくのを感じています。

紺野堅太さん
「もっと語り部の機会を増やしたりとか、いろんな場を増やしていけたらと思う」

一人でも多くの命を救うために。紺野さんは語り部として「あの日」のことを伝え続けます。