丸紅側は、ロッキード社が田中角栄に「5億円」を渡す仲介役を果たしたこと自体は、認めていた。

しかし、その「5億円」の趣旨は、「トライスター」の売り込みが目的ではなく、実は「P3C」など他の航空機、軍用機の売り込みが目的だったとの主張に転じたのである。ゆえに「トライスター」について「贈収賄」は成立しないという理屈だ。

丸紅側は、検察が柱にしている「5億円」が「トライスター」購入に便宜を図った謝礼であったという趣旨を、なんとか突き崩すために、あえて「P3C」を持ち出したのである。

当時のTBSニュースは弁護側が判決直前に「P3C」を持ち出したことについて、こう伝えている。

「こうした主張は、弁護側が次の控訴審に備えて、いわば『肉を切らせて骨を断つ』という形で最後の「逃げ道」を求めたのだという見方も出ています。

しかしながら、「P3C」については法廷で具体的な立証が何らなされていないため、一審判決において、「P3C」に触れらる可能性はまずなく、「P3C」を巡る疑惑はロッキード事件全体の中で、依然として大きな謎のまま残ることとなりました」
(TBSニュース 1983年9月25日)

案の定、1983年10月12日の一審判決で、東京地裁は「ロ社から田中角栄へのワイロは『トライスター』の売り込みが目的であった」と明確に認定した。
一方で、「P3C」については「証拠上、根拠がない」「憶測の域を出ない」として、弁護側の主張をあっさり退けたのである。

東京地裁の岡田光了裁判長は、田中角栄に「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決、丸紅の檜山元会長、大久保元専務、伊藤元専務にも有罪判決を言い渡した。

丸紅の大久保元専務の部下だった坂元航空機課長は一審判決を受けてこう語っている。

ーーー丸紅のかつての上司が有罪判決を受けましたが

「情けないですね・・・・・寂しい感じですよ。もしこの裁判が『5億円』の授受とロッキード社の『トライスター導入』との因果関係を問うものであれば、これは無罪であるというのが、今まで、ずっと考えてきた私の結論です」(1983年10月12日 TBSニュース)

さらに、その4年後の1987年7月、二審の東京高裁も弁護側の主張を退け、一審の田中角栄、丸紅幹部の有罪判決を支持した。

筆者の番組インタビューに応じる元特捜検事・堀田力弁護士

東京地裁はなぜ弁護側の「P3C論」を退けたのか

ロッキード事件の裁判は、一審だけで「6年半」で「191回」の公判が開かれた。     そのほとんどを傍聴したジャーナリストの立花隆は、裁判所が「P3C論」を退けた理由について著書でこう述べている。

《弁護側の「P3C論」には、いくつかの前提が必要だったが、それが成立しなかった。たとえば、弁護側は「検察とコーチャンがともにP3Cの存在を隠していた」と主張したが、実際にはそうではなかった。 

また検察は「P3C」に関する契約書についてコーチャン、クラッター、児玉、小佐野の4者会談で児玉の報酬が『25億円』に決まった経緯を突き止め、訴因を追加している。

さらに、コーチャンが忘れかけていた「5億円」のワイロの支払いを丸紅・大久保から催促された際にも「P3C」に言及している》

その経緯はこうだ。時間が経ったため予算がなくなり、支払いを渋ったコーチャンに対し、丸紅専務の大久保はこう脅した。

『そんなことになったら、今後、一切ロッキード社の製品を日本で売ることはできなくなるぞ!』

コーチャンはこれに慌て、支払いを承諾したが、その際にどの商談を意識していたのかと問われ、こう証言した。

『トライスターの追加注文と、売り込み中の他の製品・・・・』

《そして、具体的に「CS輸送機」「宇宙衛星」などと並び、はっきりと「P3C」の名前を挙げた。つまり、ロ社側の認識として「5億円」に「P3C」の意味が込められていたことを、コーチャンは少しも隠していないのだ》

このように、検察とコーチャンが「P3C」の存在を隠蔽していたとする弁護側の主張は、根拠に乏しく、認められなかった。
一方で、立花はこう指摘する。

《(贈賄の趣旨を「トライスター」だけと考えた場合)確かに腑に落ちない点がある。たとえば、ワイロは全日空が「トライスター」の採用を決定したあと、すぐに支払わずになぜ、10ヶ月も放置していたのか。しかも、ロ社は田中側と丸紅から催促されて、渋々支払ったようにも見える。 事後報酬というなら、なぜ8ヶ月もかけて「4回」に分けたのか。支払いが遅れたのであれば、一括払いではないか。このように「トライスター」だけの謝礼と考えると、不自然な点が多く、わかりにくい。しかし、だからといって、これらの状況証拠だけで「5億円」の趣旨が、「トライスター」ではなく「P3C」であったと立証はできない》

弁護側がいくら「5億円の目的はP3C導入だった」と主張しても、それを裏付ける決定的な根拠は提示されていない。つまり、具体的な立証がなされない限り、裁判所にとって「P3C論」は説得力を持ち得なかったのである。

田中角栄の実刑判決について会見するジャーナリスト・立花隆 (東京地裁 1983年10月12日)

ロッキード事件の「P3C論」を追い続けた男

ロッキード事件の本質を「P3C疑惑の隠蔽」と捉え、独自の見解を主張し続けた人物がいる。
田中角栄の側近であり、自治大臣や国土庁長官を歴任した田中派(のちに竹下派、羽田派)の元国会議員・石井一だ。

田中の逮捕後、石井は何度も渡米し、アメリカの公文書の収集や関係者へのインタビューを重ねた。
そこで得た確信として著書の中でこう綴っている。

《ロッキード事件の本質は、問題の焦点を軍用機「P3C」から民間旅客機「トライスター」へ、そして「主犯」を中曽根康弘から田中角栄に置き換えて描かれたフィクションのストーリーである》

「P3C」は意図的に消されたのか、石井はこう主張する。