紡績工場が地震で崩れ…39人が下敷きに
明治中期に起きた濃尾地震は、大量の写真で被害が記録された最初の地震でもあります。写真から濃尾地震の被害を分析する名古屋大学の西澤泰彦教授と、名古屋市内をめぐりました。
(佐藤楠大アナ)「ここ、名古屋市熱田区は濃尾地震と何か関係のある場所ですか?」
(名古屋大学 西澤泰彦教授)「1か所で亡くなった方の数を考えると、被害が1番大きな場所」

名古屋市内では、当時最新だった紡績工場が地震で崩れ、39人が下敷きになって死亡しました。当時の写真を見てみると。
(佐藤アナ)「大きく建物が倒れてしまっている。レンガ造りですかね、手前にはレンガ一つ一つが見える」
文明開化の象徴、レンガ造りの倒壊は大きな衝撃を与えました。

そして、中区栄の広小路通り沿いで撮影された写真は…
(佐藤アナ)「これもレンガ造りの建物ですかね。大きく2階の部分が壊れて、つぶれてしまっているのがみられる」
地震の4年前に建てられた「名古屋郵便電信局」が倒壊し、ここでも4人が死亡しました。しかし。
(西澤教授)「こういう写真を見ると、レンガ造りの建物が地震に弱いと勘違いする。実際は、レンガ造りの建物で愛知県で被災したのはわずかに7棟。あと8万棟くらいの木造の建物が被災」















