濃尾地震をきっかけに動き始めた“耐震化”
こうした状況に当時の人たちは…
(西澤教授)
「木造建築が被災して、人がたくさん亡くなったのは非常に大きなダメージだった。普通の人が住んでいる木造建築を耐震化しないといけないと気付いて耐震基準を作る動きにつながっている」
濃尾地震をきっかけに動き始めた“耐震化”。その名残は、濃尾地震を耐えた愛知県一宮市の建物に。当時の宿場町にあった「湊屋文右衛門邸」です。
この建物は低い構造や太い柱や梁、それに地盤の強さで倒壊を免れたとみられています。濃尾地震の後に施された「対策」は1階の玄関近くにありました。
(西澤教授)「この戸は特別な戸、筋交い」

木造住宅は柱を組み合わせただけだと揺れに弱い一方で、筋交いを入れることで揺れに強さが増すことが知られています。
こうした筋交いを使って耐震化を進めるきっかけになったのが、濃尾地震だったのです。
(西澤教授)「難しいことをしなくても耐震化できる」
しかし、その後、耐震化の基準が厳格化されても、震度7を記録した阪神・淡路大震災、そして能登半島地震でも住宅の倒壊で多くの命が失われました。
南海トラフ巨大地震で予想される、名古屋市の最大震度は「7」。名古屋市は無料の耐震診断や、耐震工事に補助していますが、耐震化できていない建物は、5万4000戸以上にのぼります。


(西澤教授)「濃尾地震の例をみても、全壊しなければある程度の命は救えた。全壊しないことを考えるのが重要」
134年前の写真は、身近な場所の地盤を知り、耐震化の備えはできているか、私たちに問いかけています。
CBCテレビ「チャント!」2024年8月5日放送より














