迷宮入りのまま公訴時効に

1965年を境に、草加次郎による爆破事件は突如としてぴたりと途絶えました。それ以降、彼の名をかたる者も現れず、連続犯行は完全に停止したのです。
犯人がなぜ突然活動を停止したのかは不明でした。
逮捕の危険を察知したのか、あるいは個人的な事情によって犯行を継続できなくなった、たとえば極端な話、不慮の事故で死亡したのではないか。そういう可能性が囁かれました。

地下鉄やコンサートホールなどに警察官が投入され、警備と捜査にあたるようになりました。

1978年9月5日に公訴時効が成立。すべてが謎のまま捜査は終了しました。
草加次郎事件当時の日本は高度経済成長期にあり、社会の変革が進んでいましたが、その中で発生したこの事件は「都市の安全対策の強化」を促すきっかけとなったとも言えます。