戦後80年、戦争の記憶を伝える「つなぐ、つながるプロジェクト」です。東京・八王子で起きた列車を狙った最大規模の空襲。そこで亡くなったのは自分の父ではないか。80年ぶりに名乗り出た女性がいます。

松本三津子さん(88)と妹の裕子さん(81)。かつて家族で暮らしていた家の跡地を訪れました。

戦争で亡くなった父・米蔵さんとの思い出の地。父の写真は1枚も残っていません。

松本三津子さん
「死に顔も何も見てないですから。(Q.どんなお父さんでしたか)優しい、8歳まで1回も怒られたことがない」

なぜ、父は亡くなったのか。母からは「列車が空襲され亡くなった」と聞かされましたが、三津子さんは詳しいことを知りたいと願い続けていました。

中央線の電車が行きかう東京・八王子市の「湯の花トンネル」。三津子さんも知らなかった恐ろしい出来事があったのは1945年8月5日のことでした。

アメリカ軍の戦闘機がトンネルに差し掛かった新宿発長野行きの中央本線を機銃掃射。52人が死亡するという列車を狙ったものとしては最大規模の空襲でした。

当時乗っていた 石井竹雄さん(2014年)
「こういうことが地獄かなと思うくらい。満員列車でしょ、人が重なりあって、うめき声ですよね」

足がちぎれた人、あごが吹き飛ばされた子ども。現場は凄惨を極めました。

先月、現場に建つ慰霊碑に、最近明らかになった犠牲者の名が刻まれました。当時の混乱で、今も身元の分からない死者がいるのです。

このニュースを美津子さんは見ていました。

松本三津子さん
「父のことじゃないかな」

急いで、父の戸籍を確認する書類を取り寄せました。そこに書かれた亡くなった日時と住所は「湯の花トンネル」の空襲とぴたりと一致。80年たってようやく父・米蔵さんの最後の状況が分かったのです。

松本三津子さん
「80年って長い長い旅路、やっと辿りついた」

そしてきのう、2人は初めて父が犠牲になった現場を訪れ、花を手向けました。終戦から80年。ようやく、父の痕跡に辿り着くことができました。

松本三津子さん
「きっと上から見てますよ」