去年1年間に自殺した児童や生徒は527人で過去最多。深い悩みを抱える子どもの多さが浮き彫りとなりました。いじめを受け学校に助けを求めても向き合ってもらえず、自ら命を絶った13歳の少年がいます。孤立する子どもを救うために何が必要なのか考えます。

13歳の死 届かぬ声

亡くなった13歳の少年が過ごした部屋は当時のままだ。

少年の母親
「教科書やったら、こんなんで勉強していました。教材で。ペンも挟まったまま」

不登校だった少年はもう一度学校に通いたいと勉強を続けていた。

2022年3月、近所の空き地で自ら命を絶った松波翔さん。当時中学1年生だった。

翔さんは正義感が強く、クラスの輪に入れない子がいると、声をかける優しい少年だった。しかし、クラスメイトとの関係が一変したのは小学3年生の時。2歳上の兄がいじめを受けるようになり、翔さんも身長が低いことなど、外見をからかわれるようになった。

先生に相談しても真剣に受け止めてもらえず、時には「お前の言うことは信用できない」と言われたという。

次第に学校に居場所を失い、不登校に。小学6年生の1年間は一度も学校に行けなかった。

翔さんの兄は、学校への不信感を語っていた弟の姿をはっきりと覚えている。

翔さんの兄(18)
「先生のことはいじめも解決できないし、信用はできないと言っていました。他の先生も誰も信用できないと」

将来は、司法試験を受けて正義を貫く検察官になりたいと話していた翔さん。中学から心機一転、学校に通うことを決心する。

ところが、入学すると不登校の過去を馬鹿にされ、“少年院帰り”という言葉を廊下で耳にするように。担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われ、その後中学でも、夏休みが明けたころ不登校になった。

母親の千栄子さんは、いじめに苦しみ「学校が信用できない」と訴える翔さんと共に教育委員会に転校を求めてきたが、受け入れられなかった。

翔さんの母 千栄子さん(50)
「早く本人の居場所を見つけてほしいとずっと訴えていた、教育委員会に。でも教育委員会はずっとのらりくらりと『わかりました』としか言わず、まともに取り合ってもらえなくて。『コロナで忙しいのであなたばかり構っていられません』と言われて終わり」

泉南市教育委員会は当時の事を「翔さんが登校できる状態にならないと転校の判断ができなかった」と釈明した。

泉南市教育委員会 岡田直樹教育部長(2022年7月)
「(翔さんが)学校にも登校できるようになったうえで、この状況だったら転校しても構わないというお話ができるのかなと」

—まず今の学校に行けるようにというのはそもそも無理では?

泉南市教育委員会 岡田直樹教育部長(2022年7月)
「例えば病院の診断書があるとかそういう場合ならば話は別になるかと」

岡田教育部長は「精神疾患を証明する医師の診断書などがあれば、転校の判断ができた」と話した。

教育委員会に転校を受け入れてもらえなかった翔さんは、亡くなる2か月前、大阪府の子どもの相談窓口にもメールを送っていた。

翔さんのメッセージ
「市の教育委員会に言うけど、ダメの一点張りで、あげく他の仕事があるから対応できないと、放ったらかしです」

さらに、中学で不登校になった理由も綴っていた。

翔さんのメッセージ
「担任が少しでも学校に行きやすいようにはどうしたらいいか聞いて来たので、生徒達に僕の辛かったことを話してほしいといいました。理由は僕が6年の1年間学校に行けなかったことを、少年院に入ってたとかいわれてたから、しかしダメの一点張りで、信用がなくなり今にいたります」

翔さんは自殺予防に取り組む団体など他にも民間の複数の機関に相談していた。しかし、どれも具体的な解決につながらないまま命を絶った。

翔さんの死を教育委員会は把握していた。しかし、メディアが報道し表沙汰になるまで4か月間審議せず、学校はクラスメイトに半年以上、亡くなった事実さえ伝えていなかった。

亡くなって7か月後、中学校の校長と教育委員会の指導課長が翔さんの自宅を訪ねてきた。