去年10月に76歳で亡くなった西田敏行さんの「お別れの会」では、西田さんと生前親交のあった、俳優の柴俊夫さんや、歌手の松崎しげるさん、女優の米倉涼子さん、脚本家の三谷幸喜さんが弔辞を述べました。


柴俊夫さんの弔辞(ほぼ全文)

西やん・・・俺が先に弔辞を読むとは思わなかった・・・今日も あんたとのメールボックス ずっと読みかえしてみたんたけど、はぁ・・・人生についても色々、やりとりしたもんだなという風に思ってます。きょうは弔辞ということなので多少時間を頂いて・・・

西やんと最初にあったのは そう、市川森一さんの脚本で「新・坊ちゃん」というドラマでした。その最初の松山ロケで 飛行機のなかで

柴:「西田さんは お酒お飲みになるんですか?」
西田:「私はたしなむ程度です 柴さんは?」
柴:「わたしも、ほんのたしなむ程度です」

その日、ロケが終わって、「午前様」まで飲み明かしたことを覚えています。懐かしいです。それからスタジオに行くことになり 私は、西やんの芝居、圧倒されました。いつも心ある芝居で、たまらなくファンになりました。

ある時、西やんが珍しく悪戦苦闘して それを外のモニターで見ていた私が、お茶を西やんにもっていったら、「ありがとう、悪いな」と。 その時の笑顔は一生忘れません。

柴俊夫さん



それから、オールマイティの西やん。 いろんなことをやってきたよね・・・ ここに、共演者の方もスタッフの皆さんもいるけれど、素晴らしい作品をやりとげてきたと思います。でもその中で、あなたはある時期「僻地俳優」「極地俳優」と言われるようになった。

あえて自らを極寒の地・・・僻地へ身を置いて、素晴らしい作品にかかっていたことを覚えています。そしてかえってくると、必ず連絡してきて「会おうか」と会って、その時の話を聞くのが僕は何よりも好きでした・・・あなたの素晴らしい人柄 そして、心の大きさ、自然を愛す心、それが僕の心にしみわたりました。

そんな広大な大自然のなかで 心を豊かにしてきたあなたは、今度は社会的にハンデを背負った人のために立ち上がった。福祉活動に加え 厳しい環境に陥った人たちのために 声をあげた西やん・・・

実は去年、あなたのことを書いた、われらの兄貴分であり師匠でもある市川森一さんの文章を奥様から渡されました。それをご披露させて頂きます。これはまさに・・・まさに・・・我々の思ったことではないかと思います。

柴俊夫さん


市川森一さんの文章

西田敏行の魅力 市川森一
テレビを見ていたら、原発事故に対する 東電や原発学者、官僚、与野党の無責任な対応に福島県出身の西田敏行が声をふるわせて怒りを露わにしていた。テレビのコメンテーターらがチャラチャラと上っ面なことしか言わない中で、西田は憤怒・漁師のように朴訥で腹の底からのものだった。ひときわ印象にのこった・・・

この男は昔からそうだが、前後のことを考えないで、その時の情念のようなものにひきずられて、行動してしまう所がある。

僕と初めて仕事を組んだドラマ「新・坊ちゃん」の時もそうだ。あまりの遅筆な僕にたいして、制作者は当然「リリーフライター」を投入しようとした。それを知った西田は制作者の所に行き、「どんなに台本が遅れても、セリフはちゃんと覚えますから」「このドラマは市川さん一人に書き通させてください」と直訴してくれたのだ。

まだ無名の、主役でもない新劇畑の役者が、特に親しいわけでもない、ふがいのない新人ライターのために体を張ってくれた。その理由は今もってわからない。ともあれ僕は半年間、その連続ドラマをひとりで完投することができた。しかも僕は西田のその行為を、番組が終了するまで知らなかったときている。

番組の打ち上げパーティで主役だった柴俊夫からこっそりと、その話を聞かされた時、僕は西田に「ホント?」と聞いた。

西田は、ぼそっと「すみませんでした」とだけ答えた。

西田が出演するドラマの現場は リハーサルや収録が終わっても誰も帰りたがらない。みんなできるだけ長く、西田と一緒にいたがる。西田と同じ空気を吸っているだけで心が落ち着くかもしれない。少なくとも西田は自らすすんで、人をひきよせようとしたことはない。

人の「見栄」や「虚飾」は、この男が最も嫌悪するものだけに、それを演じさせたらピカイチという側面を有してきた。そうした彼の本質は意外なほどに地味で、不器用なまごころに根ざしているものだった。

「トシといる時の自分が 一番好きですね」柴俊夫のその言葉が、西田敏行の魅力の秘密を 一番言い当てているかもしれない。

柴俊夫さん




西やんといるときの自分が 一番僕は素直でした。我々だけでなく、ここにいらっしゃる方みな、同じ立ち位置だったのでしょう。記憶に残るだけでなく 心に残る役者、心のある役者・・・

最後にリハビリしている時のメール交換で、西やんが書いてきたことは

「役者を生業として、ひたすら生きる。それだけが自分自身と家族を守る手だてとしてきました。このことも変わることなく、生きられればと願っています」

あなた・・・ホントに先ほども話していたんだけど、たぶん、みんなに対して優しかったからね・・・時間を与えて、みんなとたのしい時間を・・・でもねえ 娘さん 奥さん、少し寂しい思いをしたのかもしれない。だけども あなたがとても愛していたこと 私は知っています。

長い間 友達として尊敬しあえたこと・・・感謝します ありがとう。西やん、あなたは私の誇りです。お別れは言いません。また会いましょう。



【担当:芸能情報ステーション】