瀬戸内市にある国のハンセン病療養所、長島愛生園にかつて入所していた男性の「遺体の解剖記録」が、遺族の申し入れにより明日(10月7日)から一般に公開されます。
遺族は「病への差別、偏見をなくすことにつながれば」と話します。

カルテに残る1枚の写真。1941年(昭和16年)に亡くなった、長島愛生園の入所者・木村仙太郎さんです。

仙太郎さんの遺体を解剖した記録を公開してほしいと提案したのは、遺族の木村真三さん。大伯父にあたる「仙太郎さんの生き方を知りたい」と開示を求めました。


(木村仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「公開する事、表に出すことによって『こういう実態があったことを明らかにしていくこと』が大切なんだと思います。だから、非常に遺族としては複雑です」


瀬戸内市の長島愛生園です。国の誤った政策で強制的に隔離されたかつてのハンセン病の患者たち。死亡した後、親族の同意を得ることなく遺体が解剖された歴史がありました。

愛生園には1834人分の解剖録が残っています。本来は遺族に限って閲覧できるもので、公開されるのは初めてです。

木村仙太郎さんの解剖録やカルテなど6点には、臓器の重さや色・形に至るまで詳細に記されています。仙太郎さんの死因は肺結核であり、ハンセン病の治療は施されていなかった事実も判明しました。

(国立療養所 長島愛生園 山本典良園長)
「死因は肺結核です。結核で亡くなりました。であれば、通常はハンセン病療養所ではなくて、結核療養所に入らなければいけない人でした」

「ではなぜハンセン病療養所に入らなければいけなかったか。そこは写真を見て、皆さん考えてください」

資料から浮かび上がってきたのは、かつての患者の人権が踏みにじられた歴史です。これらの資料を見て、ハンセン病について考えてほしいと遺族は話します。


(木村仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「ハンセン病の病気の歴史。そういったものが全部見えてきた。改めて公開することで、ハンセン病患者がどういった問題が生じたのか。そういったことを知る材料になっていただけたらと思います」

木村仙太郎さんの解剖録など貴重な資料は、あす(7日)から来年3月末まで、長島愛生園歴史館で公開されます。