「2つのモンゴル」で起きていること
それはモンゴルの隣の国、中国で起きていた。中国北部にある内モンゴル自治区は、人口約2400万人。そのうちの2割、約400万人がモンゴルの人々だ。

「各民族はザクロのように固く団結しよう」
いたるところで目につくのは、民族団結を促すスローガン。実がギュッと詰まったザクロは、民族団結の象徴とされている。
中国では、多数派を占める漢族のほか、55の少数民族が暮らしている。モンゴル族も、ここでは少数民族の一つに数えられている。
中国・内モンゴル自治区とモンゴル国。なぜ、モンゴルは2つに分かれることになったのか。歴史は13世紀にさかのぼる。

1200年代後半、世界史上最大規模の広大な領土を誇ったモンゴル帝国。率いたのは、あの、チンギスハーンだ。
その後帝国は崩壊し、17世紀には当時の清朝に征服され、中国の一部となった。

1924年、北部は旧ソ連の支援を受けて独立。漢族の入植が進んでいた南部は1949年、中華人民共和国の建国に伴い、現在の「内モンゴル自治区」となった。

中国の内モンゴル自治区では、道路標識や看板には漢字とともにモンゴル族固有の文字・モンゴル文字が併記されている。
これまで公用語である中国語とともにモンゴル語を学び、使うことが許されていた。しかし5年前、事態は一変する。