幼い日々をドラマ形式で再現

神戸:私の長男(26歳)も、嘉成さんと同じ自閉症という障害を持っていますが、こんなにはっきりはしゃべれないし、嘉成さんのような絵を描くこともありません。4歳までは意思疎通が全くできなくて、本当に困っていました。映画のドラマパートで小林さんが演じているお母さんの姿は、私の連れ合いの姿と重なりました。本当にあんな感じだったのです。有希子さんはどのような人だとお考えですか。

小林:ご家族も、生前関わった方も「本当に芯が強くて、ぶれない人だった」とおっしゃいました。「自閉症」という言葉の意味さえも今ほど理解されていない時代だったと思うんです。そういう中で「叱らないけど絶対に譲らない」「繰り返し言葉の意味を伝えていく」というやり方を貫き通すのは、本当に大変だったと思います。でも「必ずこの子は良くなる」と信じて、ずっとその療育を貫き通したお母さんの愛があったからこそ、今こうして嘉成さんは活躍しているのかなと感じます。

神戸:長男を見ていて、確かに障害(バリア)にくるまれているけれど、中身は普通の子なのですよね。言葉や概念が入っていくと、急激に伸びていく感じがしました。

映画『青いライオン』の1シーン

神戸:それにしても、「演じる」のは大変だったんじゃないんですか。初めてでしょう?

小林:最初はセリフを読むと「全部ナレーションに聞こえる」「ニュースみたい」と指摘されて、自分でVTRを確認すると「おっしゃる通りですね」と…。だけど、その癖はなかなか取れないんです。プロの俳優さんに演技指導していただいて。アナウンサーは、どちらかと言うと、あまり表現の振り幅を大きくしないで読むことが多いんですが、もう「真逆だ」と。「表情には出さないけれど、心の内側の感情の振れ幅をものすごく大きく動かすように」と指導いただいて、一生懸命取り組んでみました。

神戸:演技では、しゃべる内容に感情が入ってくるのは当然ですし、しゃべらない間も感情が表情を通じて観客に入っていくわけですよね。これは、アナウンサーの仕事ではあまりない。

小林:そうなんです。

神戸:RKBのスタジオにも女性アナウンサーがいます。あなただったらどんな風に演じますか?

RKB 橋本由紀アナウンサー:ちょっと、想像ができません。CMの収録で、ドラマのセリフの真似をしたことがあったんですが、やはりナレーションに聞こえるみたいで、後で”なかったこと”になっていました。

神戸:お母さんの有希子さんは病に倒れてしまいます。そのシーンでは減量にも取り組んだそうですね。

小林:パーソナルジムに通って、トレーナーさんの指導の下で体重を落としました。最後の1週間は、目標体重に達するために、「水は1日これぐらいにしてください」「食事もこれくらいのカロリーに抑えてください」。もう、アスリートみたいな生活でした。本当に真面目にトレーナーさんの言う通りにして、目標の体重に達することができました。

RKB 田畑竜介アナウンサー:日ごろの業務はどうされてたんですか?

小林:日頃は報道部員として「TBS NEWS DIG」の仕事と、アナウンス業務をしながら。

田畑:アナウンス業務をしながら、減量もしていたんですか?

小林:そうです。

橋本:えー、大変!

死を前に母が遺したメモ

神戸:病室のベッドには、有希子さんが遺したこんなメモがあったそうです。

「この子はどうなるのだろう。血のにじむような努力を重ね、療育してきてやっと行動が落ち着き、少しずつ物事が分かりかけて来たのに。私のいない環境の中で、また元の野生児状態に戻ってしまうのでは。自分の病より、そちらの方が怖かった」

神戸:メモの写真も、映画のサイトに出ていましたね。

小林:本当に命が尽きるまで、嘉成さんのことを考えてらっしゃったんだな、と。自分が亡くなった後、例えばホームヘルパーさんにお願いしたり、学校の付き添いに行く方がローテーションで回るように自分で手配されたり。もう本当に細やかに。元々、看護師をしていたそうですが、先々の事を読んで動いている方だったようですね。

神戸:子供を信じるお母さんを小林さんが演じているのを観ていると、演技しているのに何だか普通に見えてきました。「実際のお母さんにも似ている」と嘉成さんは言っているようですね。

「小林さんは優しい母に似ています」と記された石村嘉成さんの日記

小林:「優しい母に似ていて、小林さんは好きです」みたいに日記に書いてくださった。嘉成さんは動物の絵を描いてばかりで、人間の絵はほとんど描いていないんです。でも、実のお母さんの肖像画と、私のことも日記に絵で描いてくださって、すごくうれしかったです。嘉成さんは多分、私達が思う以上に、周りの人の気持ちがすごくわかってるんじゃないのかな、と感じていました。私は映画も演技も初めてで、ちょっと落ち込み気味でした。もちろん表には出さないようにしていましたが、嘉成さんがそれをどこかで感じて、励まそうと思って描いてくれたのかな、と感じています。