今年は戦後80年、戦争を二度と起こさないため、JNNでは教訓や思いを未来につなぐ企画を1年を通じて放送していきます。太平洋戦争末期に長崎県内で行われた空中戦で犠牲となった日米双方の軍人を慰霊し続ける人たちがいます。その思いとは。
山奥に進む市民や自衛隊、アメリカ海軍の関係者ら。ここは80年前、戦闘機の空中戦で零戦が墜落した場所です。
日米友好追悼の会 犬尾博治 名誉会長(91)
「ここに死体があったというわけですよ」
慰霊碑の前で、亡くなった日本兵を追悼します。
同じ日、海辺に建つ碑の前でも追悼式を行いました。零戦に体当たりされ沖に墜落したB-29の搭乗員11人を慰霊します。
諫早商業高校 生徒会長 末岡志帆さん
「多くの国の方々も戦争の犠牲となりました。この慰霊碑に祀られているのも、アメリカの方々です」
1944年中ごろからB-29による本土への空襲が始まると、日本軍は戦闘機による体当たりの攻撃をしかけるようになり、長崎県諫早市の上空でも空中戦が行われました。
日米友好追悼の会 犬尾博治 名誉会長
「4人の(米兵の)死体を裸にして道端に並んで寝せてありました」
当時10歳だった犬尾さんは日米双方の犠牲者の慰霊を続ける1人です。
日米友好追悼の会 犬尾博治 名誉会長
「戦後になれば、すぐ、『なんという、こんなひどいことをお互いにやったもんだ』と(思うようになった)」
犠牲者の慰霊は、荒川会長の父・斗苗さんが呼びかけました。
元陸軍大尉だった斗苗さん。中国から帰還後、零戦が墜落した山の中に木柱を建て、その後、アメリカ兵の鎮魂碑建立も働きかけました。
日米友好追悼の会 荒川明継 会長(75)
「(父は、亡くなった)戦友をこっちに連れてこられなかったというのが、どこかに残っていたんじゃないか。(亡くなった)米兵を戦友と重ね合わせて」
戦争のために異国の地で失われた命。追悼式では、長い間、行方不明とされていたアメリカ兵の遺族からの手紙が紹介されました。
亡くなった機長の娘からの手紙
『日本の皆さんが父と乗組員に示してくださった優しさと敬意は信じられないほどで、感謝の言葉以外、何と申し上げてよいかわかりません』
日米友好追悼の会 犬尾博治 名誉会長
「こういう事実があったということだけは伝えてほしい。戦争っていうのは汚いもんだ、嫌なもんだ、ひどいもんだということを、ある程度、本当に知らなければ平和にはならない。こんなところに死体が落ちていたんですよ」
戦後80年。悲惨な史実を伝え、平和を誓う取り組みが続いています。
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