「遊女、無銭飲食などでお客さんが逃げないため…」

公園を抜けてさらに先へ進むと、吉原遊郭へ繋がる「衣紋坂(えもんざか)」に到着。

(道マニア・髙山英男さん)
「坂を曲げて造っている。異世界に入るときの気持ちを高めるためだったのではないかと。身支度を整えることもあったそう」

衣紋坂を進むと、見えてきたのは「吉原大門(おおもん)」。真四角の区画に造られた吉原遊郭は、内と外を隔てるように「周りを水路で囲まれていた」と髙山さんは言います。その理由は…

(道マニア・髙山英男さん)
「遊女が逃げないため。また、無銭飲食などでお客さんが逃げないため。聖と俗を区別するためとも言われている。あえて隔絶して、そこに入る楽しさの演出という目的もあったのではないか」

そんな堀に囲まれた吉原の出入り口は、大門(おおもん)の1か所のみ。その構造は、幕府が遊郭を監視しやすくするためとも言われています。

約2.8万坪あったという吉原遊郭をぐるりと囲っていた水路は「おはぐろどぶ」と呼ばれていたそうで、「遊女がお歯黒を水路に捨てたり洗ったりしていた」と髙山さん。

遊女が施していたというお歯黒は、何色にも染まらない色として貞操を守る意味が込められ、お客さんに対する誠意の印だったとも言われています。