豊臣勢食い止める「土塁」の役割も?薩摩土手
静岡市葵区の駿府城公園から北西に数キロ。住宅街が広がる地域に突然「土手」が現れます。桜が植えられ、春には花見の名所にもなっている「薩摩土手」です。「駿府御囲堤」とも呼ばれ、長さ4キロ、高さが5.4メートルほどあります。徳川家康が駿府城の拡張工事を行っていたころは安倍川がたびたび氾濫し城の近くまで水が迫る危険があり、1606(慶長11)年ころから、川の流れを変えるための堤を作らせたと伝えられています。
薩摩藩が工事をしたといい伝えられています
この工事を担当したのが薩摩藩の島津氏だったとされているため「薩摩土手」の名前で知られています。この薩摩土手はいまでも国交省により管理され「控堤」として機能するように整備されています。また、土手の近くの道は「さつま通り」と呼ばれ親しまれています。

工事は水防が目的とされていますが、歴史学者の小和田哲男さんは「家康は、大阪の豊臣勢が江戸に向けて進んで来た場合、駿府で迎え打つシナリオも考えていたはず。薩摩堤は『土塁』としての役割もあったのではないか」と分析しています。

これだけ共通点の多い2県ですが、もちろんそれぞれ独特の文化と歴史、グルメなどが豊富な土地でもあります。現在、富士山静岡空港から直行便が就航中。次の旅行の目的地に 鹿児島県を選んでみてはいかがですか。