悲しみを語れる社会に “ブリコラージュ”的な営みを
今回、グリーフケアの活動の一環として新たなイベントスペースという“場”を作ったのも、フィジカルな“場”の力を利用して、グリーフを抱えた人たちが「異質」な人や眼差しに触れ、かつ楽しむことができるのではないか、その振れ幅を広げていくことができるのではないか、そんな期待がある。今後催す集いも、必ずしもグリーフケア関連のものばかりではないという。
今回の高野さんとのトークでのキーワードの一つは「ブリコラージュ」だった。文化人類学の巨人クロード・レヴィ=ストロースが用いた概念で、平たく言えば「その辺にあるありあわせのものを利用して別の目的に役立つものを作る仕事」。設計図やマニュアルが支配する「エンジニアリング」と対置される。高野さんによればイラクの湿地帯に住む人たちはまさに日々、生活の中で、あるいは生き方で、このブリコラージュを実践している、という。そこにはエンジニアリング化された社会にはない柔軟性と逞しさがある。
入江さんは「“悲しみ”はエンジニアリングとは相性が悪い」と言う。「“対処”とか、“処方”とか、マニュアル通りにできることではない」と。それ故に悲しみはエンジニアリング社会で見過ごされてきた、と感じる入江さんは、思い出の家であり、かつ一種ブリコラージュの結果でもあるこの新しいイベントスペースで、グリーフケアを、まさにブリコラージュ的にやっていこうとしている。

晴れ晴れとした空をイメージしたという外壁の色には、もう一つ、意味がある。
かつて入江さんは泰子さんと、この家の庭で蝶の羽化を見た。
幼い姉妹が固唾をのんで見守る中、蝶が初めての飛行のために広げた小さな翅は、綺麗なブルーだった。
その時の木は、今も同じ場所に立っている。