化学兵器 無差別殺害の現場で

アサド政権が国際的な批判を浴びたのは、反体制派が支配する地域で、化学兵器を使った無差別的な市民攻撃を行ってきたことだ。

その化学兵器が使われた現場の1つに向かった。

増尾記者
「完全に破壊しつくされています。この町では化学兵器も使われたということです」

ダマスカス近郊のザマルカ地区。内戦下で別の街に避難していたイサーム・アッラッハームさん(48)。11年ぶりに自宅に戻ってきたが、まさにこの家で、幼い子どもを含む自分の家族が化学兵器による攻撃で亡くなった。

アッラッハームさん
「この世の終わりのようでした。家には10人くらいの(救急隊員の)遺体もありました。救急隊員が家に救助に入る度に、次々と命を落としたのです。私は口から泡をふき瀕死の状態で発見されました」

あの日、化学兵器による攻撃があるとの情報があり、ガスを吸い込まないよう、家族はみな、ぬれたタオルを口に当てていた。午前2時半頃、様子を見に外に出たところ、砲弾が落下する音が聞こえた。

アッラッハームさん
「ここに大きな木がありました。私は目が見えなくなっていて、木に当たって地面に倒れました」

意識不明の状態が3日間続き、目がみえるまでに1週間かかった。生き残ったのはアッラッハームさんと娘1人だけだった。

自宅の床で、傷ひとつなく命を落とした家族の姿は、当時、ニュースでも報じられた。

Q.何歳ですか?

アッラッハームさん
「4歳でした。私は、ダマスカス郊外の病院で、床に並べられた1000人以上の子どもの遺体の中から自分の息子を見つけました」

自分で埋葬できたのは息子だけで、5歳と1歳の娘やほかの家族は、集団で埋葬されたという。

政権崩壊の瞬間を、家族と一緒に迎えたかった。

アッラッハームさん
「複雑な気持ちです。悲しさと嬉しさの両方があります。でも悲しい気持ちのほうが大きいです。シリア人同士の殺害に関わった全ての人が、裁かれることを願っています」