「葦北郡」は奈良時代からあった!?

『あしきた』の歴史に詳しい町の職員、深川裕二さんと大島幸輔さんと共に、まずは『あしきた』の始まりを紐解きます。

芦北町教育委員会 深川裕二さん「元々『葦北郡』という地名が昔からありまして、奈良の平城京で発見された木簡に『葦北郡』という漢字が使われています」

葦北郡は奈良時代にはすで存在していて、その名は日本書紀にも出てくるんです。

深川さん「1300年以上使われている地名、ということになります」

「芦北町」が生まれるまで

葦北郡の中央に、政治経済の中心だった佐敷町(当時)がありました。1955年に周辺の村と合併し、郡名と同じ「葦北町」が誕生。 この時は郡と町名は同じ漢字でした。

1970年、その葦北町が湯浦町と合併した際に、いまの芦北町に名前が変わりました。

深川さん「もしかしたら…の話なのですが、郡と同じ『葦北町』の名前が引き継がれると、湯浦町の方が吸収されたようなイメージがあるので、対等に合併したという意味で漢字を変えたのではないかと考えています」