真珠湾攻撃で過酷な環境にさらされた日系人たち
明治から大正にかけて日本の貧しい農村地帯から多くの労働移民が、職を求めアメリカ本土やハワイに渡りました。

それが「日系一世」。そして、その子どもたちは「日系二世」と呼ばれました。開戦直前のハワイは、人口40万人のうち3分の1を日系人が占めていたといいます。そんなハワイに旧日本軍は奇襲をしかけます。
1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃。自身のルーツである日本からの攻撃でハワイやアメリカ本土に住む日系人たちは、過酷な環境にさらされます。

日系アメリカ兵を研究 国立国語研究所 松平けあきさん:
「真珠湾攻撃は軍事施設への攻撃だったが、米軍による対空砲火が行われる中で民間人も犠牲になり、その中に日系人も含まれていた。(真珠湾攻撃の後)アメリカ本土では西海岸に住んでいた人たちが、強制的に立ち退かされて強制収容された」

太平洋戦争が始まると、アメリカで暮らす「日系人」たちは、日本にルーツがあるという理由だけでアメリカ政府から「敵性外国人」と見なされました。住む家や家財道具を失い、12万人以上が人里離れた収容所への入所を強制されたのです。














