原爆投下の翌日、長崎で撮られた写真に写る『おにぎりを持った男の子』が戦後77年を生き抜き、今月16日、肝臓がんのため80年の生涯を閉じました。

長崎原爆資料館に展示されているおにぎりを持つ母子の写真。
原爆投下の翌日に撮影された一枚です。


この写真に映る男の子は、戦後77年、長崎県内で生活を続けていました。
そして今月16日、家族に見守られながらその生涯を閉じました。


山田 伸一さん、80才でした。


長崎平和推進協会 写真資料調査部会 松田斉さん:
「被爆翌日に撮影された山端(庸介さんの)写真の中では最も有名な一枚。この少年の放心したような眼差しは、いつまでも見る者の心に残る」


3歳の時、爆心地から1・5キロの銭座町で家族と共に被爆。
写真を撮られたのは被爆の翌日でした。

宝町にあった救護所で炊き出しのおにぎりをもらった時、「写真を撮っていいですか?」と声をかけられたと言います。


当時29歳だった母・ヲミ(ふみこ)さんは、背中一面にガラスを浴びていて、しばらくは食事の度に口からガラスが出てきていたそうです。


当初は取材を受けていましたが、次第に断るようになり、おにぎりを持った親子が原爆を生き延びた事はあまり知られていません。


23才で結婚、鉄工所を立ち上げ、汗と油にまみれながら3人の子供、4人の孫へと命をつなぎました。


生前、娘には「浦上川でたくさん人が死んでいた。その人達に申し訳ない」と話していたと言います。

3才の子どもの目の前で起きたこと──


長崎平和推進協会 写真資料調査部会 松田 斉さん:
「原爆の人に与えたものをダイレクトに示している感じがします」


長崎原爆資料館 学芸員 奥野正太郎さん:
「核の脅威が迫るたびに、この写真は多くの人の目を惹きつけて、その時ごとに振り返られていくものだと思います」

原爆の惨禍を乗り越えた山田さんの人生。
親子の写真は ”核兵器がもたらす苦しみ” だけでなく、人が持つ ”生き抜く力” を伝え続けます。

謹んでお悔やみを申し上げます。