高校3年の麦谷選手、涙のワケ

202年、高校最後の夏はコロナ禍で甲子園がないながらも、独自大会を戦い抜きました。

結果は宮城大会3回戦敗退。それでも、大崎中央高校で野球ができたことへの感謝の思いを、当時高校生の麦谷選手は涙ながらに語っていました。

麦谷祐介選手(当時高3年):
自分だけ1年半という形で…、入ってきた頃は馴染めるかなとか不安だったんですけど…、「お前がチームに来てくれてよかった」とか、「お前のおかげで大崎中央強くなった」とかみんな言ってくれて、本当にここに来てよかったなって心の底から思って…。この大崎中央高校という名前のユニフォームを着て野球ができたことを本当に幸せに思っています。

麦谷選手がドラフト候補まで成長したことについて、平石監督は。

大崎中央高校硬式野球部監督 平石朋浩さん:
いやもう非常に感慨深いものはあります。彼が転校してきた時のあの何とも言えない悔しさだったり悲しさが入り混じって、そしてこれからまた頑張ろうっていうあの表情も見て。一つひとつ大人になっていって、今立派に喋っているだけでもすごく喜びと感動があります。