「最高気温42℃、道路にサボテン、そこにいたのはレジェンド」

こうしてたどり着いたアリゾナ州のフェニックス・スカイハーバー国際空港。取材初日、最高気温は42℃、道路の脇にはサボテン。しかし、湿度は一桁と聞いた。日本ほど厳しい暑さとは感じなかったが、唇が乾いて仕方がない。リップクリームを持ってくればよかったと後悔した。

道端のサボテン

向かったのはサプライズ・スタジアム。テキサス・レンジャーズなどがキャンプで使用する球場だ。そこにいたのはトヨタ自動車の野球部で19年間プレーし、ことし夏に引退した佐竹功年さん41歳。

社会人野球の最高峰とされる都市対抗野球大会でトヨタを初の優勝に導くなど、輝かしい実績を持つ“社会人野球のレジェンド”だ。現役引退後、コーチングなどを学ぶため、ことし9月からレンジャーズの元を訪れていた。

現役時代の佐竹功年さん

そんな佐竹さんはとにかく優しかった。私が小さなカメラを片手に、一人でアメリカに来たことに驚きを隠せない様子で、アメリカ滞在期間中は昼食の手配から取材先の送迎までしてくれた。取材する側がここまでお世話になるのは申し訳ない。その気持ちを本人に打ち明けると「甘えてください」と言ってくれた。

私と佐竹さんの歳の差は14。親子とまではいかないが、これだけ歳が離れた取材対象者は初めて。アリゾナの乾いた空の下で、父親に似た親しみを覚えた。

入国審査で不安になったと話す佐竹さん

ちなみに送迎中の車内で、アメリカで不安になった事はありましたか?と尋ねると、「入国審査の時にホテル名をうまく伝える事が出来ず“Get back”と言われて最後尾から並び直したよ」とのこと。社会人野球のレジェンドもひとりの日本人なんだ。取材をしてきて初めて親近感がわいた瞬間だった。