文化庁長官が語った幸町・捕虜被爆のこと

14日に行われた開業セレモニー。挨拶に立った1人である都倉俊一文化庁長官は、かつてこの地に外国人捕虜たちがいて被爆した歴史に触れました。

都倉俊一文化庁長官:
「実は私事になってしまいますが、私はこの長崎の被爆者をテーマに、1995年イギリスのロンドンでミュージカルオペラを上演いたしました。1995年と言いますと、原爆50周年であります」

「この長崎に、連合軍の捕虜を収容した収容所があったわけであります。そこには1000人以上の収容者がいた中で200人以上の連合軍、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの捕虜が収容されていた。その場所は長崎市幸町、つまりここなんですね」

「私はこのミュージカルを作った時に、被爆という人類が経験したことのないような悲惨な体験を、日本人はもちろんのことを、外国人も同じ人間として被爆をしていたんだということに非常に胸を打たれたわけであります」

「この物語は、アメリカ軍のパイロットの捕虜者が被爆し、戦後長崎の女の子と結婚して可愛い娘が生まれた、まさに被爆の2世であります。原爆という悲惨な事実を背景としつつ、昨日まで敵だったアメリカ軍との愛の物語、またそこに生まれた娘、親子の愛の物語でもありました」

「私が1番このミュージカルオペラで言いたかったことは、被爆、被爆者には国境がないということであります」

「原爆という1つの体験が今日的な問題であり、そしてまた今後も『幾光年』将来に向かって伝えていかないといけない。今まではこれを語り継いできた、これからはミュージカル、オペラみたいなものを通じて歌い続けていきたいと、こういう風に考えた次第であります」

「来年、被爆80周年にこのミュージカルを初めて日本(東京)で上映したいと今準備を進めております」

「私の夢はいつの日かこの被爆地長崎で、このピーススタジアムで、このミュージカルを上演したい。これが僕の夢であります」

【都倉俊一文化庁長官】
2021年4月から文化庁長官を務める。作曲家・編曲家・プロデューサー

【この記事を最初から読む】