就任から“戦後最短”で解散せざるを得なかった舞台裏
ーー総裁選で岸田さんは早期解散論のレールを引いたというふうに言われてました。
後藤謙次氏:
27日の総裁選の前の24日、この日に岸田・石破の電話会談があって、ここで石破さんは岸田さんの支持を取り付けると、そのときに石破さんは自ら提唱していた「アジア版NATO」と「日米地位協定の改定問題」、これについてはすぐやる課題ではないと、それから「岸田さんの政策の流れを完全に引き継ぎます」ということを約束して、岸田さんが石破さんの支持に流れたと。その岸田さんがとにかく自分が辞めた意味というのは選挙に勝てるということが、辞めた最大の目的だったんだから、そこで負けてもらっては困る、となると岸田さんが描いた最短で選挙をやるという構図は、石破さんはのまざるを得なかったんだと思いますね。
非公認で「1人も取りこぼせないギリギリの選挙に」

ーー衆院の解散時の勢力は、与党290議席で過半数が233ですから、大きく上回っていますが、今回の選挙はどうご覧になっていますか。
後藤謙次氏:
私は非常に厳しいと思いますね。今回258が現職ですけども、このうち12は既に非公認ですから、ここから12を引いた246、この数字に加えてですね今言われているのは比例代表で相当票を減らすと、議席数でいうと11ブロック分、平均1人ずつ、つまり11人減ですから、258から12引く、さらに11引くと、235。それがおそらくスタートライン。ギリギリから始まるという点では1人も取りこぼしができないぐらい厳しい選挙で、当然この後、公明党もどこまで頑張れるか、特に近畿地方は苦戦も伝えられていますので、自公で過半数という目標を掲げておりますが、これもかなり厳しい目標じゃないかなと思いますね。