イランは180発ものミサイルをイスラエルに向けて発射しました。ほとんどは迎撃され、人的被害はほぼありませんでしたが、イスラエル側は「仕返し」を強く示唆しています。
イランはなぜ攻撃したの?

「3人の暗殺への報復」です。3人とは、
①ヒズボラの指導者 ナスララ師
②ハマスの指導者 ハニヤ氏
③イラン革命防衛隊のニルフルシャン准将
です。

ニルフォルシャン准将はナスララ師が殺害された時の空爆(先週)で死亡しています。
イラン革命防衛隊とヒズボラの深い関係を改めて示すものでもあります。
またハニヤ氏は7月にイランの首都テヘランで殺害されました。(なおイスラエルは公式には関与は認めていません)
なぜこの3人がイランにとって重要だったの?
ニルフルシャン准将はイラン革命防衛隊の幹部ですので当然として、ナスララ師とハニヤ氏について少し説明します。
イランは1979年の革命以来、欧米およびイスラエルとの対決姿勢を取り続けています。ただ戦火を交える場合は自らの国土ではなく、中東における同盟勢力に対峙させる、というのが基本方針です。「抵抗の枢軸」とも呼ばれる同盟勢力にはイラクの民兵組織、シリアのアサド政権、イエメンのフーシ派、ハマスなどが含まれますが、ヒズボラはその中でも、戦闘能力やレバノン内政への影響力の大きさなどから、イランにとって最も重要なアセットであると言えます。
そのヒズボラがここまでの組織に成長した30年の間、トップに君臨してきたのがナスララ師でした。カリスマ性もあり中東情勢の主役の一人であり続けたナスララ師はイラン政府にとって最重要レベルの同盟相手であり、暗殺されて黙っていては国内右派や他の「抵抗の枢軸」に対しても示しがつかなかったでしょう。
ハニヤ氏が率いてきたハマスは、ヒズボラに比べればイランにとっての戦略的重要性は低かったと見られています。7月に殺害された直後にイランが報復をしなかったのもその表れだと考えることもできるかもしれません。ただ「反イスラエル」「パレスチナの大義への支持」を標榜してきたイラン政府にとってはハマスへの支援は外せない外交方針の一つです。
加えて、ハニヤ氏はイランのペゼシュキアン新大統領の就任式に客人として招かれて首都に滞在していたところを殺害されました。湾岸諸国との関係改善を模索するイスラエルとしては、普段ハニヤ氏が拠点にしているカタールで暗殺するわけにはいかず、イランに出てきたのはチャンスだった、という事情もあるでしょうが、イランにとってみれば面子は丸つぶれですし、そもそも主権の侵害でした。