里見さんの自宅のある神奈川県から御嶽山までは、片道およそ270キロ。

噴火の翌月から2年間、月命日の毎月27日には欠かさず木曽に通いました。

噴火から10年となる24年、初めて顔や名前を出してメディアの取材に応じました里見さん。その胸の内をこう明かします。

里見さん:
「よく10年目の節目とか言いますけども、僕にとってはまだ本当に通過点だけであって、御嶽山噴火したんだっていうのを教訓として忘れられないようにしたいなっていう思いが、ここにきて強くなった」

24年7月、仲間の月命日に御嶽山を訪れた里見さん、山頂に到着すると、背負ってきたカップ麺を並べます。

里見さん:
「噴火の日、昼ごはん食べられなかったんですよみんな。それもあってここに来るときは、こういったカップ麺を仲間の人数分持ってきて、ここで食べようっていうそういう気持ちを持って」

噴火が起きた11時52分、里見さんはこの10年、仲間6人と向き合い続けてきました。

里見さん:
「もう一方的な10年。それは仲間の6人からの声は僕には届かないんで。僕の声を、気持ちを届けるだけであって、それで僕はいいと思ってるので」「やっぱり来ないと気持ちの整理がつかない。来てよかった、来れてよかったというふうに毎年思いますし、また来たことによって、また来年頑張ってこようと思いますし」

あの日を、仲間のことを忘れない。10年間変わらぬ、誓いです。

御嶽山の麓、長野県王滝村の松原スポーツ公園には、噴火の3年後に、慰霊碑が建てられました。石碑には犠牲になった人たちの名前が刻まれています。里見さんは仲間の名前を1人ずつ触れてます。

里見さん:
「ここに刻まれてる方の後ろには親族の方、友人とかもいらっしゃるでしょうし、絶対悲しんでるのはこの数以上だと思います」

里見さんは10年目の今年、新たな一歩を踏み出しました。


里見さんは、今年3月、火山防災の知識を広めるため、噴火災害を機に活動が始まった「御嶽山火山マイスター」となりました。

マイスターとして「生還体験の伝承と火山噴火の犠牲者を出さないっていうのが2本柱」で活動すると言います。生還者だからこそ伝えられることがあると考えています。

経験と教訓を、未来へ。里見さんは御嶽山と向き合い続けます。