周到なパンダ作戦

1941年のアメリカへのパンダ贈呈は周到に練られた米国抱き込み作戦の一環でした。
じつは5年前、アメリカ人女性が、子パンダを生け捕りにしてアメリカに連れて帰ったことがありました。このパンダは「スーリン」と名づけられて動物園の人気者になりました。そういう先例があったのです。

「スーリン」と名付けられたパンダはアメリカで大人気となりました。

アメリカでもパンダはイケる。国民党中央宣伝部国際宣伝処工作報告によると、41年のパンダ贈呈の背後では、次のような13の計画が進んだといいます。

①CBSラジオによる、全米自動パンダ命名大会
②雑誌NEAに記事掲載
③雑誌『Newsweek』『TIME』などに捕獲の経緯を掲載
④パンダ護送の過程をAP通信独占取材 ……などなど。

パンダの奥にはこんなにたくさんの宣伝工作があったわけです。(「上田晋也のニッポンの過去問」から)

中国の目論見通り、アメリカではパンダブームが起きました。
もちろん日本では逆の反応になります。戦中戦前の日本ではパンダにネガティブなイメージがあったのです。

パンダの米国への贈呈は日本では非常にネガティブに捉えられました。

環境保護の象徴として

戦後、パンダというものは環境保護の象徴となっていきます。
中国はパンダの捕獲を禁止し、世界に送るパンダについても「贈与」ではなく「貸与」に切り替えました。世界自然保護基金(WWF)のシンボルマークもパンダとなっています。

世界各国の動物園にパンダはいますが、すべて中国からの「貸与」です。

珍しさ、愛らしさから、パンダには世界にファンがいます。アメリカでは「親中派」の政治家のことを「パンダハガー(パンダを抱く人)」と呼びます。それほどパンダは外交の武器として活用されていた、というひとつのあらわれでしょう。

人気雑誌『an・an』はじつはパンダがシンボル

じつはあの人気雑誌『an・an』のシンボルマークは、パンダでした。

創刊号からしばらくのあいだ表紙にパンダは居続けました。

それだけじゃありません、an・anという雑誌タイトル自体が、当時モスクワの動物園にいたパンダの名前だったのです。いつの世もパンダは女性に人気なんですね。

上野公園の郵便ポストは、いまもご覧のようにパンダ柄です。