なぜ一等地が公園に?「うめきた開発史」を振り返る

 『グラングリーン大阪』の目玉は、大胆に配置される“緑”。約4万5000平方メートルの都市公園です。なぜ“最後の一等地”が公園になったのか。歴史をさかのぼります。

 ちょうど150年前、明治維新直後の1874年に大阪駅が開業しました。1928年には「梅田貨物駅」が誕生(現在のうめきたエリア)。当時は貨物量が多く、戦後日本一の貨物駅となりました。そして、1973年には貨物量がピークに達しますが、次第にトラック輸送に貨物を奪われ、1987年の民営化(国鉄→JR)で梅田貨物駅の全廃と用地売却が決定。その後のバブル崩壊で、約15年間、開発がストップしてしまいます。