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 開発が開始されたのは2004年ごろ。グランフロント大阪の開業が進められます。キーマンとなったのは関西経済同友会で、民間主導で整備が進んでいきました。そして、『グラングリーン大阪』の開発エリアについては、「ほんまもんの緑を作りましょう」と経済同友会が提言します。理由は3つです。

 ▼大阪には緑が少ない
 ▼グランフロント大阪の反省
 民間主導での開発は“経済合理性”を優先するため、広々とした緑やオープンスペースなどが作られにくい。
 ▼東京を反面教師に
 貨物ターミナル駅の広い跡地を再開発したのが東京・汐留エリア。建物1つ1つは建築として素晴らしいが、土地が高いため建物が“バラ売り”になり、エリア全体として(緑地開発を含め)一体感のある開発ができなかった。
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 ただ、一筋縄ではいきませんでした。経済界からは、「経済効果を追求すべき」との声が上がります。2009年には、平松市長(当時)がサッカーW杯誘致のため、駅前のサッカースタジアム建設構想に賛同。緑地化計画は風前の灯火となります。
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 風向きが変わったのは2011年。緑地化推進のきっかけとなった出来事が2つありました。

 ▼東日本大震災
 大阪駅周辺の防災拠点として“公園”が見直された。マンホールを利用した緊急のお手洗い“マンホールトイレ”の取り組みなど、『グラングリーン大阪』も防災拠点として考えられている。
 ▼橋下市長の誕生
 橋下市長(当時)が緑地化に賛同。ニューヨークに倣った“大阪セントラルパーク”という言葉も。