平成の大合併が始まって20年。30日の特集は地域の今を見つめる特集「ふるさと新時代」です。30日の舞台は鹿屋市です。
農林水産省のまとめによると、鹿屋市のおととしの農業産出額は460億円で県内トップ。全国の市町村別では9位でした。この「農業のまち鹿屋」と東京を行き来し、2拠点生活を送る「農政マン」を取材しました。
(農林水産省 鈴木健太さん)
「これは土産でよく持っていく。関西や東京に行くとき」
「『鹿屋でもお茶をつくっているんだ』『飲んでおいしい』と評判をもらう」
東京都出身の国家公務員、鈴木健太さん(43)です。去年3月まで2年間、鹿屋市に出向し、副市長を務めました。霞が関に戻った現在も、東京と鹿屋を行き来する2拠点生活を送っています。
(記者)「鈴木さんが鹿屋市の拠点にしているのは住宅地にあるこの一軒家」
自然豊かな鹿児島での暮らしに魅力を感じたという鈴木さん。熊本出身の妻と、子ども2人も鹿屋市が気に入り留まったため、東京に単身赴任中です。
(農林水産省 鈴木健太さん)「食べ物もおいしいし友達もできた。子どもたちもこっちに残りたいと言ってくれた。自分も鹿屋に残りたいと思っていた」
現在は農林水産省の広報評価課に所属。東京と鹿屋に月の半分ずつ滞在し、国が毎年発行している「農業白書」の執筆を担当しています。地方でリモートワークを取り入れた職員は初めてだといいます。
(農林水産省 鈴木健太さん)「同期や知り合い、先輩、後輩からも『えっ、マジで?』と言われた。最初はそうとう、衝撃だったみたい。世の中の働き方が変わってきている中で、国自体も働き方を変えていくのは必要なこと」
副市長時代から大切にしてきたのが、生産者との交流です。休みの日を利用して農家の声をききます。
この日、訪ねたのは鹿屋市でもわずか数軒というイチゴ農家。家族経営で人手が不足しがちだという農作業の効率化につながればと、出張先の岡山で見学したイチゴのパック詰めの写真を見せました。
(イチゴ農家 前田彩花さん・30)「収穫シーズンを見たいけれど、忙しいので動けない。ありがたい」
若い農家も刺激を受けています。
(イチゴ農家 前田彩花さん・30)「(鈴木さんは)アクティブな印象。私も『頑張らないと』と思い、実行するようになった。鈴木さんの影響は大きい」
(農林水産省 鈴木健太さん)「生産者や地域の人たちが何に困っているのか。常に聞きながら東京と行ったり来たりしている。東京や地方への出張で得られた情報を、地域に還元するのが理想的」
続いて向かったのは、養豚農家が経営するハムの直売店です。
(農林水産省 鈴木健太さん)「生ハムが(感染症の影響で)輸出できず、世界的に値上がりしていた」
(養豚農家 福留洋一さん・43)「そこで『国産の需要が増えるよね』と話しながら(生ハムを)つくったりする。僕らは鹿児島県のことしかわからないから、いろいろと話してアドバイスをもらう」
農林水産省に入って20年。豊富な知識や経験は、鹿屋市の農家に頼りにされています。
(養豚農家 福留洋一さん・43)「2拠点生活を送って現場も見ながら、東京・中央で伝える(姿勢)はすごい」
(農林水産省 鈴木健太さん)「移動は多少大変なところもあるが、人とつながっていられる良さがある。(現場で見たことを)東京に持ち帰られるのはすごくいい」
持ち前の行動力は東京でも。霞が関での仕事の合間を縫って、鹿屋市の農家が参加する商談会にも足を運びます。
(農家)「自分たちで商品を売らないといけない」
「最近は牛の価格が落ちている、少しでも付加価値を出していかないと」
副市長時代、商品開発に携わった企業のフォローも忘れません。
(農林水産省 鈴木健太さん)「乾燥野菜もみそ汁に具で入れるのはいい。海外に輸出するためにはパウダーにしたほうがいい」「軽くて量を稼げたほうがいい」
全国有数の農業のまちとして知られる鹿屋市ですが、1970年、1万9133人だった農業従事者の数は右肩下がりが続き、この50年間で10分の1の1968人にまで減りました。資材価格の高騰や人手不足など取り巻く環境も厳しさを増しています。
鈴木さんは農業の現場に近い地方での暮らしを大切にし、新しい働き方も提案できたらいいと話します。
(農林水産省 鈴木健太さん)「関係人口としてかかわる人、その地域を『面白いな』と思ってくれる人が多ければ多いところこそ、魅力がある地域。現場に行けば行ったなりに得るものは必ずある。現場に出てマイナスになることはない。基本的に得るものは大きい。こういう働き方もできると一つの選択肢として考えてくれたらいい」
コロナ禍を経て変化したともいわれる価値観。二拠点生活が珍しくなくなる日は、そう遠くないかもしれません。














