先月、県内に未曽有の被害をもたらした記録的大雨から1か月がたちました。

被害が大きかった戸沢村では山形県を代表する観光のひとつ、最上川舟下りも過去最大の被害を受けました。

傷跡が残る中で再開した舟下り、そして関係者の思いを聞きました。

観光客を乗せてゆっくりと舟が下っていきます。

氾濫した最上川は今、記録的な大雨がなかったかのように静かに流れていますが、岸辺のいたるところには痛々しい傷痕がそのままです。

7月25日から26日にかけて庄内や最上地方を襲った記録的な大雨。

戸沢村では最上川が氾濫し、役場も水没。およそ300棟が浸水するなどの被害が出たとみられています。



戸沢村の重要な産業であり、山形県を代表する観光のひとつ、最上川舟下りを営む、最上峡芭蕉ライン観光。会社設立から60年になりますが、先月の被害は過去最大となりました。



船頭 山科 亨さん「こちらにあります。今回の(水位)。10mを超えてきた。10m57cm。ここまで上がった」

「(川の水位は)普段はこんなですけど、これがここまで来る」

戸沢村古口の船番所を撮影した動画では、係留された浮桟橋が川に浮かび、最上川の水が堤防を越える寸前だったことがわかります。



大事な船にも大きな被害が出ました。

最上峡芭蕉ライン観光 鈴木富士雄 社長「水害とともに山崩れがあり、11艘が流された。大変大きい痛手を受けた」

「土砂が大きく未だかつてない(量が)入っていますので、航路が大きく様変わりした」

16艘ある船のうち11艘が流され、2艘は秋田県で発見されています。

従業員も被災し、大きな被害を受けました。

最上川の氾濫により集落全体が水没した蔵岡地区に住む、船頭で運航管理者の鈴木博也さんの自宅です。鈴木さんと母親は避難して無事でしたが、家財道具は全て水に浸かったそうです。

運航管理者 鈴木博也さん「ここ見てもらうと天井まで(水が)行ってるような」

「もう終わったなという絶望感というのがすごくありましたね。でも命があったので、蔵岡全員の命が何の被害もなかったので、それだけでも不幸中の幸い」



こうした中、最上峡芭蕉ライン観光は、大雨被害からわずか6日後の8月1日には営業を再開しました。

船頭 山科 亨さん「苦労されている方もいっぱいいる中で、ちょっと疑問はあったんですけど、少しでも元気じゃないですけどお客さんにも見ていただきたいというのもありますし」



今、舟下りは川底の地形が変化し、12キロ下流まで行く定期航路を運航できず、周遊コースで営業を行っています。

この日は県外や台湾から訪れた20人ほどが船に乗り込み、1時間ほどの船旅を楽しみました。

船頭の山科さんは、痛々しさが残る大雨の被害について説明します。

船頭 山科 亨さん「ちょっとね。見てもらうとわかるけど、これが全部、水、洪水の爪痕なんですけど」

「ここ 土砂で 落ちてます。うちの船が流されたのもこれの影響かも知れません」

「看板が折れ曲がっているということは、あそこまで水が上がっているってことだから」



もちろん、自慢の舟唄も聞かせます。

「それでは最上川舟唄でございます。」

♪最上川舟唄



山科さん、軽快な語りで伝えるのは舟下りで生まれた松尾芭蕉のあの一句。

「五月雨をあつめて早し最上川」

船頭 山科 亨さん「また足を運んでいただけるのが私どもの力になりますので、またぜひお越しいただければと思います」

「本日はどうもありがとうございました」

栃木からの観光客は「迷ったんですよ、ここ寄るかどうか。だけど来て良かったです。楽しいお話も聞けたし」



台湾からの観光客は「とても美しい景色だった」

大阪からの観光客は「コースは変わっても、いろいろと工夫されて楽しませてもらった」

福島からの観光客は「只見川もそういうこと(水害)になって、復旧して、今すごく人がいっぱい来ているので、こっちもそうなって欲しいなって感じます」



この日、会社にとって嬉しいことがありました。

最上川に流され、秋田県にかほ市の金浦(このうら)漁港付近で発見された船1艘が戻ってきたのです。

戸沢村からおよそ100キロ離れた海岸に漂着した「第一もがみ丸」です。

クーラーやWi‐Fiも使えた豪華な船で、屋根は無くなっているものの、船の形はしっかり残っており、会社では修理して最上川に戻したいとしています。



船頭 山科 亨さん「もっといっぱいお客さんがね。いっぱい船があったらいっぱい乗れますので、それを目指して私どもは一歩ずつ進んでいこうと思っています」

最上峡芭蕉ライン観光 鈴木富士雄 社長「最上峡と最上川で生きてきた人生ですので、このような大逆境に追い込まれてもその中から這い上がっていく」

「自分では覚悟を決めて取り組んでいる」