国策として大々的に宣伝され推進された満州開拓。
しかし、あまりに過酷な体験だったため戦後、語る人は多くはいませんでした。こうした現状に満州開拓民の政策や移民が辿った歴史などについて後世に伝えなければならないと考える人もいます。
見附市の元中学校教諭、高橋健男さん(76歳)です。県内出身者が所属したすべての開拓団についてまとめた本を自費で出版しました。

【高橋健男さん】
「本に記録してまとめて、残しておく。で、いったん残しておけば、何かすればたどり着ける」
高橋さんは、元開拓民とともに何度も満州を訪れ、現地での取材も重ねました。
【高橋健男さん】
「戦争の時代のいわゆる一つの国策ですよね。満蒙開拓団というのは、一つは侵略の手先であった。もう一つは国に捨てられた民で全部責任を負って、悲惨な結末を迎えなければならない人だった。加害者であり、被害者であるという微妙な立場に戦後置かされたわけですよね」
満州の歴史をこう捉えた上で、満州国の建国と現在のロシアによるウクライナ侵攻は似ている点があるとも指摘します。

【高橋健男さん】
「侵略する理屈付けが、ウクラウイナにいるロシア人が虐げられているから、助けに行ったというのですよね。日中戦争は、大きく大東亜戦争は、アジアのいろいろな国の人民が、欧米の搾取にあっているので、それぞれ独立させることを日本が手助けするんだ。戦争をしかける時の理屈の付け方は本当に似ている」
高橋さんの自宅の庭には、開拓民の関係者が満州から持ち帰った「ニッコウキスゲ」の花が毎年、花を咲かせています。

高橋さんは、平和や慰霊への思いを込めて、元開拓民に向けて、種を送る活動も計画しています。無謀な国策のために大陸に放り出された開拓民。戦争によって人生が翻弄された人たちがいたことを私たちも次の世代に繋げていかなければいけません。