敗戦国となった祖国・日本からは何の援助もなく帰る手段もありません。
一家は、難民収容所に移されますが、寒さや栄養失調、疫病などで弟や妹3人が次々と命を落としました。
【須田一彦さん】
「広い映画館は、死んだ子どもの土まんじゅうで、埋める場所がないんですよ。穴を掘る場所がないんですよ。やっと見つけたなんか軒下みたいなところに、浅い穴を掘って、春子の遺体をまあ…。母は春子が寒いだろうと言って、なけなしの自分が着ていたカーディガンを春子にかけてやって」

壮絶な体験を経て、須田さん一家は翌年の1946年、帰国を果たしました。
【須田一彦さん】
「終戦8月15日までは、日本人は加害者だったわけですよ。日本の天国が地獄になった」
「満州にいってお国にのために、アジアの人たちの解放のために働こうと、いうことで開拓団は出ていったし、侵略の一担い手とはつゆとも思わなかった」