戦時中、農業移民として中国の満州に渡り、過酷な環境の中亡くなった人たちを偲ぼうと、宮城県大崎市鹿島台で20日、慰霊祭が開かれました。
鹿島台歴史研究会 川越壽美子会長:
「襲撃や凍死、餓死、病気などで184名の方が亡くなりました」

慰霊祭に参加したのは、大崎市鹿島台の開拓団の遺族ら25人です。
遺族らは慰霊碑に花を手向け、亡くなった人たちに祈りを捧げました。
1931年、日本は中国の東北部を制圧し、翌年、満州国の建国を宣言。
その後、国策として満州への移住政策が進められ、当時の鹿島台村からは、1940年ころから271人が満州へ移りました。

しかし、終戦間際のソ連軍の侵攻や逃亡中の飢餓、病気などで184人が犠牲となりました。