今年2月、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めてから、24日で半年が経ちました。福岡県太宰府市の日本経済大学は、首都キーウの大学で日本語を学んでいた65人の学生を受け入れました。避難生活が長期化する中、福岡で暮らしながら自分や母国の将来を考え始めたウクライナ人学生の今を取材しました。

◆母国で日本語を学んでいたエリザベータさん

エリザベータ・ペトロヴァさん「私の家から500メートルくらいにある家は、そこにミサイルが落ちて亡くなった人もいました。戦争が始まる前に、そこで毎日散歩していたので爆撃の写真を見て本当にショックでした」

今年3月、経由地のポーランドでロシア軍の攻撃の様子を語ったのは、ウクライナの首都キーウの大学で日本語を学んでいたエリザベータさんです。

◆母国を離れ日本経済大学に

2月24日に始まったロシアの軍事侵攻。エリザベータさんは、母や兄とともに、キーウから西部のリビウに避難しました。その後、通っていた大学と提携関係にある日本経済大学が、避難民の学生を無償で受け入れると知り、ひとり母国を離れて福岡にやってきたのです。

◆恐怖は半年後も・・・

あれから半年。今も、攻撃の恐怖を忘れられないといいます。

エリザベータさん「サイレンとかは毎日聞こえて…聞こえたらもっと安全な場所に行くしかないので、多分慣れることはできないですよね。私がキーウにいた時は、それが一番怖かったです」

一緒に避難した家族は、ロシア軍の撤退で状況が少し落ち着いたキーウの自宅に戻りました。

◆母国の家族との電話

家族との電話「きょうはウクライナの独立記念日だったけど、一日に2回サイレンが鳴ったからお祝いはできなかったわ」

今も毎日、家族への電話を欠かすことはありません。

エリザベータさん「私、いつも家族に会いたいので、声を聞いていつも嬉しいです。例えば、家族の誰かの誕生日とか、家族にとって特別な日の時は一番会いたいです」