大久保町長は徳田さんにあこがれて、徳洲会病院に医師として勤務した経験があります。

(伊仙町 大久保明町長)「いよいよこの日が来たかと、非常に残念。私はずっと徳田先生のところにいた。(20代の頃)一生ついていこうと決断した」
徳田さんは難病ALSの闘病中だった2012年に、徳之島をはじめ奄美の島々を訪ねて住民と交流しました。

当時、取材で同行しましたが、病気の影響で声を出すことはできないものの、相手の目を力強く見つめていました。
その闘病生活の様子を知る、妻・秀子さんの弟・長川哲也さんは「厳しい一面もあったが、心優しい兄だった」と振り返ります。

(徳田さんの義弟 長川哲也さん)「計4~5回(見舞いに)行っているが、最初は文字盤で話もできた、最後は全然(会話できない)。笑うとか厳しい顔するとか表情でしか本人の意思はわからなかった。亡くなった以上は安らかに眠ってほしい」
ふるさと徳之島では徳田さんの死を悼む声が広がっています。














