石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さん。能登半島地震の発災から一日も休むことなく、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、X(旧・Twitter)で発信を続けています。
能登半島地震発生から半年。半年というと「節目」とされやすいですが、被災した人たちにとっては、発生してからの時間の長さに過ぎません。ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載記事、第3回です。
輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。
私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。

発災から半年、いまだ続く余震 7月1日で地震発生から6か月。ライフラインが戻ったことで、各地で復興のニュースも聞かれるようになりました。町野町でも、さらなる倒壊危険性のある全壊家屋を中心に公費解体(緊急解体)が、始まっておりますが、二次避難や広域避難から戻れる目処が立たない方も依然として多いままです。
6月3日(月)午前6時31分、能登地方を震源とする最大震度5強の地震がありました。町野町でも、消防や地元の有志、建設会社の方々が早朝から町内を見回ってくださり、倒壊の危険性が高まった建物に規制線を張るなどの対策を行ってくださいました。
既に報じられているように東大野地区で建物の倒壊もあったものの、既に避難済みだったため人的被害はありませんでした。それでも、この余震で、地震の脅威が完全に過ぎ去ったわけではないことを、思い知らされました。