沖縄戦について考えるシリーズ「#あなたの623」。2作目の本記事では、沖縄戦当時に波照間島からの「マラリア」有病地帯への疎開を強いられ、いわゆる「戦争マラリア」によって家族を亡くした男性の体験をお伝えします。(6月19日NEWS Link放送回)



6月15日。波照間島で開かれた、慰霊碑の建立記念式。慰霊碑は沖縄戦当時、疎開を強いられた住民がマラリアに感染して命を落とした、いわゆる「戦争マラリア」の犠牲者などを悼んで建てられました。

▽慰霊之碑建立期成会・内原勲会長(76)
「400人あまりの方が亡くなっているのにどうして波照間には慰霊碑がないのということで、慰霊碑を建立しようと。(碑文を)読んで理解して後世にその事実を語り継ごうという狙い」

八重山諸島の住民は、旧日本軍によって、蚊を媒介する感染症であるマラリアの有病地へと疎開を強いられ、3600人あまりが亡くなりました。


そのなかでも、最も被害が大きかったのが波照間島です。

疎開した1590人の住民は、99%がマラリアに感染し、3割にあたる477人が命を落としました。慰霊碑は当時の疎開先、西表島に向かって建てられています。