松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長
「トロッコでの運搬をしていた時に道路と合流する地点ですね。」
入江記者
「後ろがちょっと高くなってますけども、あちらがトロッコの道だった?」
安藤会長
「そうです。山沿いにですね、鉱山の方から運び出してこの道路に合流したと。」
ここからは鉱山の様々な施設の間にトロッコの線路だけがぐねぐねと張り巡らされていたとのこと。
さらに山を登って行くと、そこには…
松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長
「上と真横に行ってる分がありますね」
入江記者
「あっ、あそこにありますね」
安藤会長
「で、これは下へ行く分です」

線路が残っていました。
レールの間隔は50センチ余りで、一般的な軽便鉄道よりさらに狭く、極めて簡易な規格だったようです。
鬼村鉱山の閉山は1967年ですが、鉱山の中ではトロッコがかなり後まで現役だった可能性はありそうです。
松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 アドバイザー 中村唯史さん
「かつて石膏は島根県が全国一の産出量だった。セメントに大量に使われて高度成長期を中心とする時代の国内のインフラ整備で大変役に立った、使われたという、そういう意義がありますね。」
同じ大田市内の石見銀山とも関係があります。