本土復帰前に受信料を取り始めるも…
各務
復帰のころの琉球政府、たしか主席は革新系の屋良さん。
川平
ええ。屋良朝苗さん※(1902-1997)でしたね。
※ 屋良朝苗(やら ちょうびょう) 琉球政府および沖縄県の政治家・教育者。1968年から唯一の沖縄公選行政主席、1972年復帰後、沖縄県知事を2期務めた。
屋良さんは公共放送を支持してくださいましたね。必要だと。ですから、運営に対しては、監視をするという立場は強いと思っておられたと思うんですよね。ですから「琉球政府の言いなりになるとか、あるいは、アメリカ民政府ですね、軍政当局の言いなりになるとかっていうようなことにならないように」と。
それは、私も運営の面では非常に気をつけましたね。これは日本、沖縄のマスコミというのは、ある意味では間接的なプレッシャーっていうのは絶えず感じていて、だから自己規制的なことは、やらなかったと言えば嘘になると思いますね。ある程度。
各務
そういうことでしょうね。恐らく。すると、本土復帰とともに、もう川平さんは、東京の方の経営委員会の方へ…。
川平
経営企画室。
各務
経営企画のほうへ変わられたわけですね。
川平
経営企画の国際協力担当で参りました。
各務
復帰までは受信料というものは一切取らなかった?
川平
いや、取り始めたんですよ。
各務
取り始めたんですか。
川平
取り始めたんですよ。はい。もう結果は惨憺たる状態だったですね。
各務
放送法によって、義務化…。
川平
義務化されてたんです。
各務
されていて、それから、復帰後に契約制になったというふうになってますね。
川平
はい。これは、復帰と同時にNHKに変わったわけですから、日本の放送法が適用されることになったわけです。ですが、放送法は適用されますけども、沖縄については、特別法が幾つか出来まして、NHKの受信料も、たしか沖縄では本土で徴収している受信料の半分ぐらいの価格だったんじゃないですかね。
