火災で自宅を失った斎田さん一家は、6畳一間の仮設住宅で生活しました。
周りの人、そして母親の存在が支えとなったそうです。

「配給された米も虫がついてるんですよね。いろんな虫が糸を引いてるみたいな。後でわかったんですけど、みんな綺麗に洗って、俺にそんなこと言わないでご飯食べさせてくれたんだなと。つくづく、おふくろの力を感じましたね」

母親を思い、越後線の鉄橋で川を渡った斎田さん。
その後、斎田さんは新潟県の職員となり、2007年には県の危機管理を総括的に担当する「危機管理監」も務めています。

そんな斎田英司さんが新潟地震で得た“教訓”とは…
「その場の状況を自分なりに見て判断する努力。場合によっては正当な道じゃないところもくぐらざるを得ないことも頭の中には置いたほうがいいんじゃないかと」
