戦争は、戦地に行かない人たちの心にも傷跡を残しています。
今も忘れられない出来事とは。
そして、戦争に対する思いは。
コーヒーが香り、ゆったりと流れる時間。
この店に戦争を憂う人がいます。

結城晃一郎 アナウンサー
「山形市七日町の通称シネマ通り、
開店から49年という喫茶店 白十字におじゃまします」

「こんにちはー」
「いらっしゃーい」
店に入ると出迎えてくれるのは、店主の山崎恵子さん。93歳。
恵子さんは、かつて戦争を経験しました。
山崎恵子さん(93)
Q戦争のことは覚えている?
「覚えているね」
終戦間際、恵子さんが17歳の頃。
学徒動員で神奈川県の工場に行き、1年間、飛行機の製造を担当したそうです。

山崎恵子さん(93)
「私たちは(飛行機の)胴体を作っていたの。
「胴体は1人しか乗れないような小さい飛行機だった。こんな飛行機なんて乗ってる人いるんだろうかと思ってみんな不思議がってね。
ぜんぶベニヤ板よ。金属がぜんぜんないの。ぜんぶ木」
恵子さんが今でも忘れられないと言うのは、とある休日のこと。
宿舎の卓球場に1人の男性がやってきたそうです。
山崎恵子さん(93)
「すみません。最後の卓球をさせてくださいと入ってきた。特攻隊の人で戦争に行くんだって」
その男性は出撃前の特攻隊員でした。

山崎恵子さん(93)
「最後のみやげに卓球してほしいと言われたから卓球のお相手をして
『元気で帰ってきてくださいね』と別れたの。
『元気で帰ってなんか来られませんよ。これで最後です』と言われた
一緒にいた人たちが『わぁー』と泣いた」
そして恵子さんは飛行機がベニヤ板でできていた理由を山形に戻ってから先生に聞かされました。



山崎恵子さん(93)
「実はあなたたちが作っていたのは特攻隊の飛行機だと言われた。
敵に向かって自爆する飛行機だった。
(目の前が)真っ暗になってね『あんなの作るんじゃなかった』って5人で肩をあわせて泣いた」
自分が作った飛行機で、あの人が散ったかもしれない。
戦争から77年が経った今も、その思いは消えません。
そんな恵子さんは、今年、また心を痛めています。
ロシアのウクライナ侵攻です。
山崎恵子さん(93)
「(戦争が)憎らしい」
現代に起きてしまった戦争。
テレビに映る瓦礫となった街が、恵子さんの記憶を呼び覚まします。
思い出されるのは、東京大空襲。

山崎恵子さん(93)
「あれとそっくり。家は壊れる。死人はばたばたと道路に寝ている。
そのわきの大きな川にブクブクと人間が浮いている」
山崎恵子さん(93)
「(戦争は)絶対だめだね」
喫茶店に立つ恵子さん。
Q好きな時にコーヒーが飲める今はどんな時代?
恵子さん
「幸せな時代でしょうね最高に幸せだと思いますね」
恵子さんは、きょうもコーヒーの香る店に立っています。