続いては県内41市町村の様々な魅力をお伝えするわがまちLink41です。今回は「本部町」です。愛久澤記者が本部町伊豆味の「よへなあじさい園」を訪ねました。
“あじさいおばー”で知られる饒平名ウトさんがつくり上げたあじさい園。6年前にウトさんが亡くなってからはその家族が想いを継いであじさい園を続けています。
1万株、30万輪のあじさいが咲きほこり、ブルーの絨毯が斜面を彩ります。今では一面に広がるあじさい。6年前に亡くなった“あじさいおばー”こと饒平名ウトさんが親戚からもらったあじさい2株を植えたことからはじまりました。
ウトさんが少しずつ増やしていったことで、県内では珍しいあじさいの名所となり毎年この時期に国内外から多くの見物客が訪れています。
ウトさんの次男、饒平名知孝さん(75)。母の思いを継ぎ、きょうだいらと協力し、あじさい園を経営しています。

主にホームページなどの広報担当を担い、あじさいの魅力を日々発信する知孝さんに園のみどころを聞きました。
▽饒平名知孝さん
「輝いていますね。(雨が)降った後に少し光がさすとキラキラするんですよね。(魅力は)皆さんが喜んで下さるように、ブルーの絨毯で、とても清々しい色ですよね。そういうのを見て皆さんが癒されるというから、そういうあじさいにしたい今後も」
お客さんの笑顔のために、日々の手入れも欠かさない饒平名さん。しかし、1万株のあじさいの手入れは一筋縄ではいきません。
▽饒平名知孝さん
「お客さんに綺麗な花を見せるためには、それなりの努力をしないと。(手入れ)作業をこなしています」「一番多いのは雑草を取る草取りですね。こちらから進んでいったら、終わるころにはまた生えている。エンドレスな仕事をずっとやっていますよ」
このような日々の作業があるからこそ園に訪れた人々は、あじさいの美しさに笑顔をみせます。
▽韓国からの観光客
「それぞれのあじさいが全部違って、ほんとにとても綺麗でした」
▽県民
「毎年来ています」「足腰が元気だったら(毎年来たい)」「(園内の坂の)上り下りが歩けるくらいまでは」
人々の笑顔に力をもらい、あじさい園をつづける知孝さんたち兄弟。生前の母ウトさんの言葉が原動力になっていると話します。
▽故・饒平名ウトさん(生前のインタビュー)
「子どもたちがみんな話し合いをして、ひとまとめにしてやってくれるから、これが一番楽しみで、あじさい作って良かったと思います」
▽饒平名知孝さん
「やっぱり努力をして、ちょっと大げさなんですけど、観光資源まで育てたものですから。これはもう共通の財産ですよね。私たち饒平名家、共通の財産になっていますので、それなりの役割と責任を果たさなきゃいけないっていう思いを持っている。ウトさんが残したあじさい園は饒平名家の絆を深めています」
▽ウトさんの四女・宮城由利子さん(73)
「母がやっぱりこの何十年間かかってきて、ここまで皆さんを喜ばす環境にありますので、私たちもそれを引き継いで、できる範囲で協力してやっていきたい」
▽ウトさんの三女・仲村洋子さん(80)
「母の残したこういうものをね、兄弟の絆を保つ意味でも、あるいは沖縄でこういうふうなアジサイを見れるっていうことで皆さん喜んでくださるので、できるだけ力が自分たちが出せる限りは維持していこうと思ってます。」
そして、知孝さんは、今後あじさい園を更に発展させたいと意気込みます。
▽饒平名知孝さん
「私たちの代では、ここまでお袋の財産で頑張っていますけど、今と同じ状態だったら、お客さんの満足度を高めていくことは出来ないと思うので、種類をですね。増やして多様化したりとか、あるいはあじさいの魅力ある花を効率よく配置するとか、いずれにしても、もうちょっと魅力作りをできたらなと」
本部町を訪ねると、”あじさいおばー” が育てた1万株のあじさいとたくさんの人たちの笑顔、そしてそれを守りつなぐ家族の絆がありました。
(取材後記)
今のままでも素晴らしいあじさい園なのですが、知孝さんには今後の園の魅力向上のための案があります。それは、ピンク色のあじさいを咲かせることです。あじさいの花は土の成分によって色に変化するということで、酸性ならブルー、アルカリ性ならピンク色になるそうです。そのため本島南部からアルカリ性の土「島尻マージ」を持ってきて試したいということでした。
「よへなあじさい園」は、あじさいが咲いている限りは開園しているということで、例年6月末が目途となっています。是非足を運んでみてください。(取材:愛久澤力也)