■「自分と同じ思いを経験してほしくない」三條さんは伝え続けます
三條すみゑさん:
「『いまラジオで津波警報が出ているから逃げろ』と連絡しました。そこまでは良かった。そのあとに『おっ母も今そっち(自宅)に向かっているから』と送ったんですね」

この11年、三條さんは泰寛さんが自宅からの避難中に津波に流されたものだと思っていました。しかし去年、長男から思いもよらない事実が明かされたのです。
三條すみゑさん:
「(送ったメールの内容が)『おっ母もそっちに向かっているからな』だっで、そのために逃げずに家で待っていたというのを初めて知りました」

メールを見た泰寛さんは、避難せず三條さんの帰りを家で待っていて津波に襲われたというのです。それを聞いた直後、三條さんは自分を責めたといいます。
三條すみゑさん:
「でももう、後悔しても戻ってこないじゃないですか。だから、こんなことは二度と起こしてほしくないし。他人ごとじゃなく伝えていかなければと思ってお話ししますけど、高校生なんかを見ると思い出します」

語り部活動を続けるのは、自分と同じ思いを他の人には経験してほしくないという思いからです。

自宅があった場所近くの防潮堤の上で、東京から来た家族に説明します。
三條すみゑさん:
「(震災の朝に撮影した)自分の家なんですけど、こういう風に雪が。それが土台だけになってしまった。
2011年3月31日に撮ったんですけど、土台だけになってしまった・・・。
きょうは長々とありがとうございました」

三條さんの話を聞いた人:
「実際に語り部さんのお話を聞くことが今まで無かったので、貴重な経験になった。1日1日、自分の命を大切にして生きていけたらと思った」
「もう二度と(同じようなことを)起こさないように対策していかないとと思った」
三條さんが、かつて自宅があった場所を指し示しました。

三條すみゑさん:
「分からなくなりますね、やっぱりね。大体ここら辺ですね」
三條さんが泰寛さんら家族と暮らした自宅があった場所です。
三條すみゑさん:
「何もなくなってしまいました」

何もなくなってしまったこの場所で三條さんはこれからも語り部活動を続けます。
三條すみゑさん:
「また元のような町にしていきたいなってずっと思っているので、この話をして何とか続けていきたい。そして二度とこういう風な経験は無いようにと思いますね」
