鹿児島県日置市の吹上浜で市川修一さんと増元るみ子さんが北朝鮮に拉致されてから、12日で44年となります。
進展がない中、長年、拉致問題の解決に向けて取り組んできた安倍元総理が死亡し、その影響も懸念する拉致被害者家族。一刻も早い解決を訴え続けています。

(記者)「阿久根市の海岸です。周りを見ると山、海、大きな岩があり、辺り一帯、移動しづらい状況となっています。この場所が北朝鮮の工作員の上陸ポイントとみられることから、民間団体が調査を行っています」

(調査員)「岩が突き出して(上陸用の)ゴムボートを入れにくい場所もあるが、ここはそうではない。ここは入って来ても誰も分からない」

今月3日、拉致問題を調べる民間団体「特定失踪者問題調査会」が阿久根市佐潟で調査をしました。朝鮮総連=在日本朝鮮人総連合会の元幹部が証言した、北朝鮮工作員の上陸ポイントとされる場所の地形などを確認しました。

(特定失踪者問題調査会 荒木和博代表)「内海で波もあまりない。地形から言っても隠れやすい、見つからないなど(工作員上陸の)条件すべてに適している」

北朝鮮は工作員の上陸ポイントを、県内では阿久根市のほか、南大隅町の佐多岬、日置市の吹上浜などに設定したとされています。このうち吹上浜で市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されたのが、1978年8月12日。あす12日で44年となります。

北朝鮮は20年前の2002年の日朝首脳会談で、日本人13人の拉致を認めて5人の帰国が実現しましたが、その中に修一さんとるみ子さんの姿はありませんでした。


(市川修一さんの兄 市川健一さん)「44年、いまだに帰国を果たしていない。『兄ちゃん、ただいま』という声を聞きたい」

修一さんの兄・市川健一さんです。修一さんらの帰国実現のために講演や署名などの活動を行ってきましたが、ここ数年のコロナ禍で思うような活動ができていません。
しかし、6月、今年初めての講演を霧島市の中学校で行いました。

(市川健一さん)「日本政府が毅然とした態度で北朝鮮に対抗していくためには、どうしても国民の皆さんの後押しが欠かせない。拉致問題に関心を持ち続けてください」

同じく6月、肝付町の中学校も訪れた健一さん。

(市川健一さん)「(コロナ禍の)少ないチャンスでみんなに話をできることがありがたい」

拉致被害者の帰国実現のため「みなさん関心を持ち続けてください」。健一さんは生徒らに懸命に訴えました。

(講演を聞いた生徒)
「自分たちに何ができるか実感した」
「知らないことが多いから、もっと知り、署名活動があればやりたい」

この講演から8日後のことでした。長年、拉致問題に取り組み、政府の最重要課題に位置付けていた安倍元総理が銃撃され死亡。
健一さんは岸田総理には安倍元総理の遺志を継ぎ、拉致問題を解決してほしいと強く望んでいます。

(市川健一さん)「(安倍元総理は)ずっと私たちに寄り添い共に戦ってくれた。その遺志を継ぎ、岸田総理も金正恩に帰国の決断をさせなければいけない。トップ会談でなければ拉致問題は解決しない」


(増元るみ子さんの姉 平野フミ子さん)「安倍元総理が亡くなり、改めて拉致問題に真摯に向き合わないといけないと思った」

増元るみ子さんの姉・平野フミ子さんです。安倍元総理の死去からおよそ1週間後、自宅がある熊本県八代市で拉致問題解決を訴えるポスターを貼り替えていました。
フミ子さんは、安倍元総理が亡くなったことによる政府の取り組みへの影響を懸念しています。

(平野フミ子さん)「安倍元総理が亡くなったと聞いた時、拉致も終わったと思った。安倍元総理を頼りにしていたから。安倍元総理の『遺志を継いで』と岸田総理も言っていたから信用するしかない」

44年前、突然奪われた愛する妹に再会するため、懸命の活動を続けるフミ子さん。拉致問題を自分のこととして考えてほしいと訴えます。

(平野フミ子さん)「大事な家族がある日さらわれて、当たり前の日常が突然奪われた。自分のこととして捉えてもらえれば、私たちの訴えも実があるものになる」

市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されてから44年となる12日、家族は街頭活動を行い、一刻も早い帰国実現に向けて協力を呼びかけます。